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2014年8月28日木曜日

音楽理論とは、料理のレシピと素材です。


 先日、私の処女作「RHYTHM AND FINGER DRUMMING」が紙版、データ版合わせて120冊の販売を達成しました。購入していただいた皆さん、宣伝してくれる皆さん、本当にありがとうございます。皆様のサポートのおかげです。


 さて、調子に乗りまして、第二作目を執筆中です。今回は、私の本来の専門であるいわゆる音楽理論、つまりコードとかスケールについて、基礎から書いた本です。内容自体は古典的な内容ですが、今後応用的な内容の本を出すにあたって、基礎的な内容をおさえておく必要があると考えました。ご期待ください。

 今回は、その第二作から、一部コラムを抜粋してご紹介します。テーマ自体は何度も扱っている、音楽理論とは何なのか、何の役に立つのか、ということです。料理を例えに説明しています。音楽理論が苦手な人も、嫌いな人も、読んでいただけるといいなと思います。



 Column 1


 私たちは、メジャースケールか、もしくは全音を使って説明を始めます。何故なら、メジャースケールと全音とが、音楽の一番基礎的な素材だからです。基礎的な素材だということはつまり、音楽の中に一番表れる素材だ、ということです。様々な音響的素材の組み合わせによって音楽は構成されていますが、メジャースケールと全音とが最も表出し、そして汎用性のある素材であるからこそ、音楽理論という体系のスタート地点で説明されるのです。ですからまず、この二つの音響的素材について熟知する必要が、皆さんにあります。この点は何度強調しても足りません。

 さてメジャースケールの重要性についてもう少し話をします。私たちが20歳までに聴く音楽のうち約9割が、メジャースケールか、もしくはメジャースケールに関連するマイナースケールの体系的知識によって説明されうるでしょう。これはつまり、作者の意図がどうであるかは別として、メジャースケールが音楽において如何に支配的であるか、ということを物語っています。作曲者の考えとは関係なく、自然発生的にメジャースケールが立ち上がってくるのです。そして、メジャースケールがある種の重力のように音楽全体に影響を与えている事実から、「帰納的」に我々はメジャースケールを「重要な法則」だと認めることになったのです。

 ここで私が「帰納的」と申し上げたのは、あくまでメジャースケールは音楽以前に存在していたのではない、という点を強調したいがためです。帰納とはつまり、個別の事象の集合から規則性を取り出す行為です。メジャースケールは音楽から取り出されたのです。決してメジャースケールが音楽を規定しているわけではないのです。その点を忘れてはいけません。

 しかし、この点を理解していない人が多くいるように思われます。つまり、音楽理論に自分の音楽を決定させたくない、と声高に叫ぶ人達のことです。当然ですが、音楽理論があなたにメジャースケールの内側に留まることを迫るようなことはありません。いつでも音楽的決定の主体はあなたであり、音楽理論もそのことをよくわきまえています。そうであるにもかかわらず、音楽理論に支配されることを望み、自身の音楽を攻撃されることを望む人達は、マッチポンプ的です。恐らくは特殊な性癖、つまりドMと呼ばれる人種なのでしょう。

 さて、繰り返しになりますが我々が取り上げる用語や定義 スケールやコードやドミナントモーション は音楽一般から抽出した素材である、ということをもう一度確認してください。これは規則ではありません。しかし、西洋料理一般からバターやオリーブオイルなどの素材に着目することができるように、音楽からスケールやコードといった素材に注目することができるということです。そして、自分のための料理にバターやオリーブオイルを入れることが出来るように、自分の音楽にスケールやコードを入れることが出来ます。結局のところ、どんな素材を入れたいかは、あなたがどんな味にしたいかによります。

 しかし料理にレシピがあるように、音楽のレシピも便利です。レシピから料理を作ることはよくあります。全てを自分で決める必要はありません。音楽も同様にレシピが助けとなることがあります。ところで、皆さんはトムヤムクンを食べたことがありますか。非常に複雑な味がします。何が入っているのかよくわかりません。しかしトムヤムクンのレシピがあれば、全くの素人でも比較的良い味になります。少なくとも最後まで作ることができるでしょう。レシピがなければトムヤムクンを作り始めることすらできません。レシピから初め、真のトムヤムクンを目指していけばよいわけです。音楽にも同じことがいえます。一見して何が起きているかわからない美しい音楽について、含まれる素材やその量、そして入れるタイミングを前もってレシピで知ることが出来れば、あなたの美しい音楽の手がかりとすることができるでしょう。音楽理論が担っているのは、主にこういうことだといえます。主要な素材に着目し、その組み合わせを提示する、というのが音楽理論の価値です。

 さて、この料理のたとえを使って、先ほど言及した声高な人々について考えてみましょう。彼らは、ある料理のレシピを拡張して考えすぎます。つまり、「トムヤムクンにはエビのペーストを入れると良い」といっているにすぎないのに、「全ての料理にエビのペーストを入れると美味しくなる」と拡張します。そしてついには「ゼリーにエビのペーストを入れたら不味かった!このレシピは間違っている!」と怒りだします。おそらく彼らには教育がたりません。


 ここまでの料理を用いた説明でご理解いただけたかと思うのですが、我々が学ぼうとしているのはある種の様式なのです。様式とは素材と素材の適正な組み合わせです。そして様式は時代によって変化します。また、様式の変化は過去の様式との対比の中で生じます。つまりイケている様式は、その少し前の様式の克服によって生じるのです。様式は時代により変化するものであり、常に通用するものではありませんが、しかし全ての様式は歴史的なつながりをもっています。我々が音楽理論で学ぼうとしているのは、この時代ごとの様式であり、様式の歴史的なつながりなのです。この点を忘れずに以降の項目を学んでほしいと思います。

2014年4月23日水曜日

音楽理論/レット・イット・ゴー〜ありのままで〜(Let it go) /「アナと雪の女王」主題歌

音楽理論カテゴリーはこちらに移動しました。自分で分析をしたい方向けのコンテンツを紹介しています。
neralt.com

「アナと雪の女王」のテーマソング『レット・イット・ゴー〜ありのままで〜(Let it go)』、テレビや街でめちゃくちゃ流れていますよね。かっこいい。

まだ映画は見てないのですが、とにかく曲がかっこいい。映画みてないのに、きっと主人公のアナが背負った生い立ちを受け止めて、最後は自分らしく生きていく決心をする映画なんだろうな、と涙しています。






早速、iTunesで松たか子さんの歌う日本語バージョン買いました。

色々バージョンがあるのですが、今回は日本語バージョンをとりあげます。やっぱりミュージカル映画ですから、ダイレクトにメッセージが伝わってくる日本語がいいですね。



それにしてもディズニーの曲って全部かっこいいですよね。私はアラジンのテーマソング「ホール・ニュー・ワールド」が好きでした。男性の方はピーボ・ブライソンという人なんですが、けっこういい曲をたくさん出していて、よくDJでかけてます。







このアルバムが最高です。スプレッドウィングが最高!4時半くらい、もうだんだん人がかえるかなあってくらいの最後の盛り上げにベスト。切ない。





ということで本題に入っていきましょう。
最初にはったYOUTUBEで時間を指定していきますので参照ください。

また今回はこちらに楽譜を用意しました。
再生もできるので便利です。


いちおう楽譜も。
例のごとくキーをCになおしてあります。原曲は、Abですので、原曲と一緒にプレイしたい人はM3下げて演奏して下さい。



日本語入力ができないようだったので歌詞はローマ字で。やり方分かる人はおしえてください。

で、楽譜の部分は大サビ、動画でいうと2:00からの場所ですね。一番盛り上がるところ。CMなんかで放送されているのはおそらくこれだと思います。

とても素晴らしい曲なんですが、それゆえ説明すべき場所がほとんどありません!笑
小手先の技でできている曲ではない。ただただシンプルにいい曲。

野球でいったらただのストレートなんだけど、速すぎて誰も打てない笑、みたいな。
コツとかない。ひたすら練習して投げれるようになった速い球、みたいな感じです。

そういっちゃうと終わってしまいますが笑




ということでボブ・マーリーの名曲『ノー・ウーマン・ノー・クライ』を引っ張り出してきました。最初のオルガンのリフ、鍵盤やってる人なら絶対練習したことがあります。かっこよすぎ。


で、なんでこれを出したかというと、レット・イット・ゴーのサビと、1:16ぐらいからの平歌部分、いんざがばめんとやーどいんとれんちたうんー、というところのコード、一緒なんですね。キーはもちろん違いますが。

ノー・ウーマン・ノー・クライではキーがDbなので、Db Ab Bbm Gbと演奏してます。
このコード進行と、レット・イット・ゴーのサビは全く同じ進行です。

同じだからなんなんだってとこですけど。
好きな曲が同じコード進行ってやっぱり嬉しいじゃないですか。

コードが同じだとパクリだとか定番だとか、良くないことのようにいう人がいますが、そんなことはない。コード同じなのに全然違う良さがある。逆に音楽ってすごいなって思いませんか?同じ構造なのに感動が違うんですよ。すごいですよね。

で、ちょっとこのコードを見て行きましょう。
C G Am F の繰り返しですね。

僕的にポイントなのは、FからのCに戻る部分です。
ここすごい好きです。個人的には切ない感じがする。ぐっとくる。

このブログでも何回も書いているんですが、FからCに戻る進行は、ソウルっぽいというか、ゴスペルっぽいんですよね。


書いてて思い出したんですが、絢香さんの i believe も多分同じコード進行ですね。サビ。レット・イット・ゴーと同じように、女の子が自分自身を受け止める歌ですよね。




なんというかこう、自分と向かい合う、内向的な、しかし力強くまえ向かう。そんなテーマにあってるんでしょうか。このコード進行は。

ボブ・マーリーの歌も日常にある悲しさと、それでもやっていくしかない、っていう前を向くところがテーマとして似ています。


ここでいいたいのは、このコードを使えばいい曲が書けるとか、切ない雰囲気がだせる、といった小賢しいことじゃあないんです。

自分がいいなあと思う楽曲にたいして向き合い、なるべく多くのことを引き出そうとする営みなんです。より音楽を深く味わうための。

美味しい料理を食べたら、どうやって作るのかな、材料は?香辛料は?焼いているのかな?そういうことが気になるでしょう。

それで、例えばタイ料理好きだったら、そうか!!!私が好きなこの味は、パクチーだったのか!!って発見があったら嬉しい。スーパーに行って大量にパクチーを買ってなんにでもかけちゃう。みたいな。

好きなものがあれば調べて、どうなってるのかたくさん知りたいでしょう。音楽理論も同じです。対象を深く知るための行為だといえると思います。

なのに最近は、「タイ料理はパクチーがかかっているから美味しいんだ!」みたいな雑な人が多くて残念です…それは嘘ですよね。

今食べているこの味はパクチーだということはできても、パクチーを入れれば美味しくなる、ということはできない。

我々ができるのは、何が起きているのか、ということに向かい合うことだけだと思います。


話が長くなってしまいました。戻りましょう。
コードはC G Am Fの繰り返しであると述べました。
次はメロディを見て行きましょう。

やはり特徴的なのは、ありのーままでー、という部分ですよね。二回繰り返されています。

ラシドーという部分ですが、これ非常にマイナーキーっぽいサウンドですよね。
コードはFからCに帰る部分ですから、どちらもコードだけ見ると明るいサウンドだといえますが、メロディーはマイナーっぽい。いいですね。

ありのーのあと、Amを弾いてしまいそうになるくらい暗いメロディですが、実際のコードはCなので、この対比が面白いです。

ままでー、はG G D、完全にコードに含まれる音を使うことで力強い印象になっています。またGとDの完全五度の跳躍も力強い。ありのー、の繊細な雰囲気と、ままでー、の力強い雰囲気がうまく対比されています。

二回目の、ままでーは、G 「E」 D とほぼ繰り返しなのですが、「E」でグッとテンションを上げてきています。ここまでは「D」が一番高い音でしたので、さらに高い音「E」が初めて使われたことで、聞いているひとは注目します。

そしてそこから、飛び出してみるのさー、から一気に音高もテンションもあがります。「F」というこの曲中、二番目に高い音が出てきますし、メロディーのラインもぐねぐねと動くテンションの高いラインになっています。

そして最後の、二度と〜、部分です。
高々と「G」を唄い上げます。


「二度と涙は流さないわ。」
彼女の決意が曲中の最高音「G」と共に表明されるわけですね。

僕はいつもあまり歌詞については言及しないのですが、この曲は歌詞と曲の構造が完全に一致し、聞く人を引き込んでいきます。パーフェクト。

ミュージカルの良さが発揮されてます。
このシーンでこのうたを歌う必然性がしっかりとあり、メッセージの高まりと音高の高まりがリンクして、目の前でアナが地面を蹴りつけて氷面ができる。
すごい!


あと動画をみていて思ったのですが、アナは片方しか手袋してませんね。
全く映画をみていないので詳細はわからないのですが、くらい水色の手袋は、アナの心理的なガードの象徴なんでしょう。序盤は全く生身の手を見せずに、手袋しかみえません。

しかし、0:52ごろから、悩んでいたけれどそれももうやめよう、というあたりから左右の手をみせます。つまり生身の手袋をしていない自分自身を、しっかりと見せるのです。

それでバーンと投げてサビへ!!!
すごいリンク具合。



あの…映画みてないので、もしからしたとんでもない誤解をしているかもしれませんが、許してください。そもそもこの人アナじゃない可能性もありますね笑

映画見なくてもこの動画みるだけで泣けてきます!
映画館明日行きます!!!

ではお疲れ様でした。
















2014年2月9日日曜日

協和音・不協和音とは

聴覚障害の作曲家がゴーストライターに作曲を依頼していた件、世間に衝撃を与えていますがこれが良いことなのか悪いことなのか、私個人は興味がありません。

あくまで音楽家の興味関心は音楽そのものにあるのであって、世間からの評価や音楽を巡る表象にはないでしょう。

さて、この問題にまつわる批評や記事の中で「不協和音」という用語が散見されますが、この用語は誤解を受けているように感じます。

不協和音という用語は非常に曖昧な概念であり何を不協和音と考えるかは流派や時代によってもかなり異なりますし、究極的には個人の問題になってしまいます。

にも関わらず不協和音は明らかに拡大解釈され、あたかも明確な定義があるように考えられているようです。

実際には不協和音に一義的な定義はなく、長い音楽の歴史を背負った複雑な概念なのです。

ということで、今回は協和・不協和をめぐる議論の密度を理解していただき、音楽の豊かさを感じて欲しいと思います。
ひいては音楽を語る際に「不協和音」という言葉を安易に使うことの不思慮に気付いてほしいのです。

さて、協和と不協和の歴史を4000年分振り返ってもいいのですが、我々は現代に生きているので、まずは現代で協和と不協和がどのように考えられているか追ってみましょう。

広く欧米の音楽学校で採用されているハーモニーの教科書「Tonal Harmony」を参照します。この本は邦語のどの文献よりも中立的で丁寧、具体的で簡潔です。

「Tonal Harmony」
http://www.amazon.co.jp/dp/0073401358

「協和音程と不協和音程について」
-Consonant and Dissonant Harmonic Intervals-


調性音楽においてある音程は協和とみなされ、残りの音程は不協和とみなされます。
協和と不協和という用語は、耳に心地よいか、それとも不快かということによって一般的には定義されますが、個別の事象について考える場合にはこれは文脈に大きく依存します。

例えば、調性音楽における一番心躍る瞬間のいくつかは不協和に関わっていますが、当然この文脈においては明らかに不快ではありません。


この協和と不協和の問題はみなさんの予想通り非常に難しい問題であり、本書の大部分がこの問題と関係があります。


さしあたってここでは以下のように考えれば十分でしょう。


以下の音程は協和であり、それ以外は不協和である。

・major and minor 3rd and 6th
・perfect 5th and 8ve(octave)
・perfect 4th(ただし和声の最下部と二番目の間に生まれる場合を除く)

-引用終わり-


この「Tonal Harmony」の引用を読んでいただき、協和と不協和という概念が非常に複雑な問題をはらんでいる、ということがわかっていただけたと思います。

まとめると以下のようになります。

1 協和・不協和は、文脈によって決まるのであり、自明の協和・不協和はない。
2 便宜上定義するとすれば、「major and minor 3rd and 6th、perfect 5th and 8ve(octave)、perfect 4th(ただし和声の最下部と二番目の間に生まれる場合を除く)」は協和音程であり、それ以外は不協和音程である。

この2つについてもう少し詳しくみていきましょう。

1 協和・不協和は、文脈によって決まるのであり、自明の協和・不協和はない。

私が今回特に強調したかったのがこの点です。

例えば同じG7というコードも、曲のどの部分に出てくるのか、どのような曲なのか、といった諸要素によって協和したサウンドになるか不協和なサウンドになるかは全く変わってきます。

極端な話、ほとんどのコードがディミニッシュコードやオーギュメンテッドコードで構成されている楽曲の場合、このG7は非常に協和したサウンドとして聞こえるでしょう。

もっといえば、近現代のような複雑なサウンドがメインであり、しかもそれが安定した形に聞こえる場合、G7というコードは非常に鋭く不協和に聞こえることさえあります。
これについては以下が参考になります。

『20世紀前半のアメリカにおける「不協和」の概念 : ウルトラモダーンの作曲家を中心に』
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/4571/1/KJ00004857909.pdf

くりかえしになりますが、協和と不協和という問題は複雑であり、これを判断したり説明するためにはかなり高度な教育をうける必要があります。

もちろん、このコードが好きとか嫌いとか個人的な判断をすることはできますが、これは他人に理解を求めることができる性質の言説ではありません。

肉がおいしいか魚がおいしいかといった、個人の意見の吐露にすぎません。

2 便宜上定義するとすれば、「major and minor 3rd and 6th、perfect 5th and 8ve(octave)、perfect 4th(ただし和声の最下部と二番目の間に生まれる場合を除く)」は協和音程であり、それ以外は不協和音程である。

狭義には、協和と不協和の定義としてこの2が想定されるでしょう。
この定義を採用する場合、楽曲に頻出する「ドミナント7thコード」=「属7和音」は不協和音であります。

意外ではありませんか?
不協和音とはもっと変な和音のことだと考えていませんでしたか?

キーがCメジャーの場合、ドミナントコードとはG7のことをさします。
G7が出てくるなんてとても普通の楽曲ですし、別にG7のことを不協和音とは一般的には考えられていないですよね?

ですが一般的に音楽の教科書で最初に習う便宜的な定義では、ドミナントセブンスコードは不協和音なのです。

この2の定義とブログや新聞、テレビなどのメディアで使用される不協和という概念を照らし合わせてみると、一般的に協和・不協和という概念ががあまりに恣意的に使われていることがわかっていただけたと思います。


まとめに入りましょう。

私が皆さんにお伝えしたかったのは、協和と不協和という概念が音楽の根幹をなす非常に複雑な問題をはらんでおり、それゆえもっともっと本格的に考える価値のある概念であるということです。

ぜひこの問題に関心を持った人は、一歩進んで勉強してほしいと思います。

ではまた。











2013年8月20日火曜日

コード分析 Curtis Mayfield / So in Love

Curtis Mayfieldの「So In Love」は、カーティス七枚目のアルバム「There's No Place Like America Today」に収録されたラブソング。

ささやくような、しぼりだすようなカーティスの優しく儚い歌声と、管楽器の壮大なオーケストレーション、ソウルフルなオルガン、そして相変わらずスカスカのバンド。絶妙なバランスでトラックが成り立っています。

これでもかというほど遅いビートがこのアルバムの特徴ですが、内省的なカーティスの良さを引き出しているように感じます。


さて、冒頭の歌が入る前、派手な管楽器のフレーズが出てくるあたりをみてみましょう。

ベースはEbをキープしたまま、Ab→Ebとコードが繰り返されます。
これはトニックルート(Eb)のまま、4→1と繰り返す、ブラックミュージックに頻出するトニックの装飾です。

ルートが1であることが非常に大事で、これを単に4→1とベースを進行させると、まったく異なるサウンドになってしまいます。

その後は、
Ab /Eb on Bb /Fm7 on Bb /Eb on Bb  Db on Eb
と続きます。

4 1on5 2m7on5 1on5  7b on1
です。

この一連のフレーズは本当に最高ですね。
少しずつ盛り上がっていく。

このフレーズの特徴もベースラインでしょうか。
ベースが少しずつ上昇するようにアレンジされています。
ベースがBbになったあと、ベースは同じままコードが変わることで、
じわっとした盛り上がりを見せます。

また最後の7b on 1 、これは唯一ダイアトニックではないコードです。
これはサウンド的には4に解決すために用いられるもので、
5m7→1b7→4という進行で使われる一連のコードを一つで表したようなコードです。
5m7 1b7よりも洗練されたサウンドですね。

これを1拍裏で強調することで、繰り返されるコードの冒頭、4へ力づよく戻るわけです。


またベースラインの特徴ですが、M6の音を多用しています。
このことで全体のサウンドは、単なるメジャーコードではなくM6コードになり、
ソウル特有の雰囲気が出ているといえるでしょう。

ベースをただのルートだけにし、M6が含まれないようにしてしまうと、
まったくこのアーシーな雰囲気がでないことがわかります。
非常においしいフレーズなので、ぜひコピーしてみてください。


カーティスメイフィールドは、マービンゲイやスティーヴィーワンダーに比べると日本での知名度が高くはないのですが、彼のシンプルなコードと高度なアレンジは、参考にできるところが多くあります。

また個人的に一番好きなアーティストです。

ではまた。







2013年7月18日木曜日

bop phraseの覚え方

バップフレーズはフラットやシャープが多く、慣れないと覚えにくいですね。
そこで今回は、僕がいつも実行している覚え方を紹介します。

下の楽譜は、G7b9b13とC7b9b13上にあうバップフレーズです。
G7とC7では全く同じフレーズで、単に5度移調しただけのものです。

まずG7を見ていきましょう。
最初の音(Bb)は、G7のルート(G)から考えると、b3度上の音です。
ここからフレーズをスタートさせましょう。

(Bb)から(Eb)までの5音は、EbMスケールです。
つまりスタートの音(Bb)が5度になるようなメジャースケール(EbMスケール)
を下降するのだと覚えることで、比較的に簡単に覚えることができます。
これでスタートから5音までを覚えることができました。

次に、5音目から8音目まで((Eb)から(Ab))の4音は、
Abmスケールです。
つまり5番目の音(Eb)が5度になるようなマイナースケール(Abmスケール)
を下降するのだと覚えることで、簡単に覚えることができます。

あとは最後の音です。
最後の音は簡単で、一つ前の音の、半音下です。


いかがでしょうか?
もっとミニマルに説明するのであればこのフレーズは、
「ドミナントコードの、b6度上のメジャーコードと、半音上のマイナーコードで構成されている」ということができます。

また、厳密には「b6度上のメジャーコードでは、ミクソリディアンb6スケール」、
「半音上のマイナーコードでは、メロディックマイナーを使う」、といえます。

このように複雑なフレーズをシンプルなトライアドで考えると覚えやすくなるのではないでしょうか。
参考になれば幸いです。

2013年6月16日日曜日

A Geometry of Musicー対訳

A Geometry of Music
:Harmony and Counterpoint in the Extended Common Practice
(Oxford Studies in Music Theory) by Dmitri Tymoczko



INTRODUCTION



The word “tonal” is contested territory. Some writers use it restrictively, to describe only the Western art music of the eighteenth and nineteenth centuries. For them, more recent music is “post-tonal”—a catch-all term including everything from Arvo Pärt’s consonances to the organized sonic assaults of Varèse and Xenakis. This way of categorizing music makes it seem as if Pärt, Varèse, and Xenakis are clearly and obviously of a kind, resembling one another more than any of them resembles earlier composers.


 調性という言葉は、定義が明確ではないため、論争を呼び起こす。ある人はこの語を18〜19世紀の西洋音楽だけを指すためだけに使用する。彼らにとって時代的に新しい音楽は全てポストトーナルである。ポストトーナルという何にでも使える便利な用語には、アルボ・ペルトの協和した音楽から、ヴァレーズやクセナキスの組織された音の攻撃まで、あらゆる音楽が含まれる。この時代によって分類する仕方は、時代的に近いペルトとヴァレーズ、そしてクセナキスがあたかも同じ性質のものであり、それ以前の作曲家とは似ていないことを示しているように思われる。




“Tonal” can also be used expansively. Here, the term describes not just eighteenth-and nineteenth-century Western art music, but rock, folk, jazz, impressionism, minimalism, medieval and Renaissance music, and a good deal of non-Western music besides. “Tonality” in this sense is almost synonymous with “non-atonality”—a double negative, most naturally understood in contrast to music that was deliberately written to contrast with it. The expansive usage accords with the intuition that Schubert, the Beatles, and Pärt share musical preoccupations that are not shared by composers such as Varèse, Xenakis, and Cage. But it also raises awkward questions. What musical feature or features lead us to consider works to be tonal? Is “tonality” a single property, or does it have several components? And how does tonality manifest itself across the broad spectrum of Western and non-Western styles? Faced with these questions, contemporary music theory stares at its feet in awkward silence.


 トーナルという用語は、より拡張され異なる意味で使用される場合もある。ここではトーナルは、18〜19世紀西洋音楽だけではなく、ロック、フォーク、ジャズ、印象派、ミニマリズム、中世やルネッサンスの音楽、それから相当量の非西洋音楽も含む。この用法ではトーナリティという用語は、『非無調=無調ではない』と同義である。非無調という二重否定の表現は(非と無の二重否定)、非無調音楽(調性音楽)と対置させる形で意図的に書かれた音楽(無調音楽)との関係の中で理解される。この拡張された語法はある直感に一致しているように思える。つまり、シューベルトとビートルズ、そしてペルトは同じ音楽的前提を共有しており、ヴァレーズ、クセナキス、ケージとは共有していないという直感である。しかし同時に厄介な問題をも想起する。つまり、どのような音楽的な特徴が我々にその作品を調性音楽だと考えさせうるのか、という問題である。調性(トーナリティ)は単一の要素から成る特性なのか、それとも複数の要素から成るのだろうか?そしてトーナリティが持つ特性の様々な要素が、どのように多様な西洋音楽と非西洋音楽の様式の中に広がっているのだろうか。この問題に直面したとき、現代の音楽理論は何も答えることができない。




The purpose of this book is to provide general categories for discussing music that is neither classically tonal nor completely atonal. This, in my view, includes some of the most fascinating music of the twentieth century, from impressionism to postminimalism. It also includes some of the most mysterious and alluring music of Chopin, Liszt, and Wagner—music that is as beloved by audiences as it is recalcitrant to analytical scrutiny. My goal is to try to develop a set of theoretical tools that will help us think about these sophisticated tonal styles, which are in some ways freer and less rule-bound than either eighteenth-century classical music or twentieth-century modernism. More specifically, I will argue that five features are present in a wide range of genres, Western and non-Western, past and present, and that they jointly contribute to a sense of tonality.


 本書の目的は、古典的な調性音楽でも、完全に無調でもない音楽について論ずるための分類方法を提供することである。私の考えでは、この考察の対象には最も魅力的な音楽の一部が含まれる。つまり20世紀の印象派からポストミニマリズム。また、謎めいていてしかも魅惑的な、ショパンやリストやワーグナーの音楽も含まれる。これらの音楽は大衆から愛されているが、分析対象としてはやっかいだ。我々の目標は、これらの調性的に洗練された音楽スタイルを検討する手助けとなる、一揃えの理論的手段を開発することだー我々が検討しようとしているこれら洗練された音楽は、18世紀の古典音楽や20世紀の現代音楽と比較すると、自由で制約が少ないー。より具体的に言うと、「五つの特徴」が幅広い範囲にわたってー西洋非西洋を問わず、また古今を問わずー存在しており、そしてこの「五つの特徴」が組み合わさって、調性という感覚をつくりあげている、ということを主張していくことになる。




1. Conjunct melodic motion.
Melodies tend to move by short distances from note to note.


2. Acoustic consonance.
Consonant harmonies are preferred to dissonant harmonies, and tend to be used at points of musical stability.


3. Harmonic consistency.
The harmonies in a passage of music, whatever they may be, tend to be structurally similar to one another.


4. Limited macroharmony.
I use the term “macroharmony” to refer to the total collection of notes heard over moderate spans of musical time. Tonal music tends to use relatively small macroharmonies, often involving five to eight notes.
5. Centricity.
Over moderate spans of musical time, one note is heard as being more prominent than the others, appearing more frequently and serving as a goal of musical motion.


1.「旋律の順次進行性」ー旋律は大きな跳躍をせず、比較的少ない跳躍で移動する性質がある。


2.「音響共和」ー共和した和音から不協和な和音に進もうとする。また共和した和音は、音楽上安定した場面で使用される。


3.「和音の一貫性」ー 進行中のハーモニーは、それがどうゆう種類のものであれ、構造的に互いに似ている傾向にある。
4.「限定されたマクロハーモニー」 ーこのマクロハーモニーという造語を、ある程度の長さの音楽的時間内に使われる音の集合を指し示す用語として使用する。 調性音楽においては比較的小さな規模マクロハーモニーが使用される。大抵は5から8音である。


5. 「中心性」ー ある程度の長さの音楽的時間内に、特定の音が他の音よりも特出した存在として感じられ、音楽上の動きの最終地点としての役割を果たす。




The aim of this book is to investigate the ways composers can use these five features to produce interesting musical effects. This project has empirical, theoretical, and historical components. Empirically, we might ask how each of the five features contributes to listeners’ perceptions of tonality: which is the most influential, and are there any interesting interactions between them? For instance, is harmonic consistency more important in the context of some scales than others? Theoretically, we might ask how the various features can in principle be combined. Is it the case, for example, that diatonic music necessarily involves a tonic? Conversely, is chromatic music necessarily non-centric? Finally, we can ask historical questions about how different Western styles have combined these five tonal ingredients—treating the features as determining a space of possibilities, and investigating the ways composers have explored that space.


 本書の目的は、これら5つの特徴を使い、音楽的に面白い効果を生み出す方法を研究することだ。本研究は、実証的、理論的、そして歴史的研究からなる複合体である。実証的には、どのように五つの特徴が 聴取者の調性の知覚に寄与しているのかを問うていく。5つの特徴のうち、何が一番影響力のある要素なのか、またこれら5つの特徴間に興味深い相互作用はあるのだろうか?例えば、「和音の一貫性」が、他の要素よりも、あるスケールの中の文脈では重要であったりするのだろうか。理論的な側面では、どの特徴が原理的に結びついているのだろうか?例えば、調性のある音楽に主和音は必ず必要なのだろうか?対して半音階的音楽には、中心があってはいけないのだろうか?最後に歴史的な問いであるが、異なる西洋音楽のスタイルは、五つの特徴をどのように組み合わせた結果なのだろうか?この五つの特徴が音楽的な空間の可能性を規定する要素と考えて、作曲家がこの音楽の空間を探索してきた方法を調査する。




This book is primarily concerned with the theoretical and historical questions. I am a musician, not a scientist, and although I will sometimes touch on perceptual issues, I will largely leave empirical psychology to the professionals. Instead, I will ask how composers have combined and might combine the five features. Part I of the book develops theoretical tools for thinking about the five features. Part II uses these tools to argue for a broader, more continuous conception of the Western musical tradition. Rather than focusing narrowly on the eighteenth and nineteenth centuries (the so-called “common practice period”), I attempt to identify an “extended common practice” stretching from the beginning of Western counterpoint to the music of recent decades. The point is to retell the history of Western music in such a way that the tonal styles of the last century—including jazz, rock, and minimalism—emerge as vibrant and interesting successors to the tonal music of earlier periods.

 本書の第一の関心は、理論上の問と歴史的な問にある。私は音楽家であって科学者ではないので、ー時的に知覚上の問題にふれることはあるにせよー、大方の実験心理学的領域は専門家に譲ることとする。そのかわりに、作曲家が五つの特徴をどのように組み合わせたのかを探っていく。第一章では、五つの特徴を分析する理論的手段を開発する。第二章では、これらの手段を使い、西洋音楽の伝統のなかに広範にそして連続したコンセプトが存在していることを証明していく。 18〜19世紀といういわゆるよく知られたクラシック作品のある狭い時期に注目するのではなく、 対位法の始まりからここ数十年まで拡張されたより普遍的な音楽をテーマに探求していく。ポイントは、21世紀の調性音楽ージャズやロックやミニマリズムを含むーは、クラシックの古典的な調性音楽を受け継ぐ形で、力強く現れたのだと、西洋音楽史を再構築することである。




My central conclusion is that the five features impose much stronger constraints than we would intuitively expect. For example, if we want to combine conjunct melodic motion and harmonic consistency, then we have only a few options, the most important of which involve acoustically consonant sonorities. And if we want to combine harmonic consistency with limited macroharmony, then we are led to a collection of very familiar scales and modes. Thus the materials of tonal music are, in Richard Cohn’s apt description, “overdetermined,” in the sense that they are special or distinctive for multiple different reasons.2 This suggests that when we look closely, we should find important similarities between different tonal styles: since there are only a few ways to combine the five features, different composers—from before Palestrina to after Bill Evans—will necessarily use the same basic techniques. In the second part of this book I make good on this claim, tracing common practices that connect the earliest examples of Western counterpoint to music of the very recent past.


 5つの特徴が私たちの想像以上に音楽を束縛している、というのが私の主要な結論である。例えば、「旋律の順次進行性」と「一貫した和音」の規則を組み合わせて従った場合、私たちにはほとんど選択肢がない。またもしマクロハーモニーと一貫したハーモニーを採用したならば、私たちはよく知られた旋法を使用することになる。そうゆうわけで、調性音楽の素材は、リチャード・カーンの適切な表現を借りれば、『過剰に決定』 されているのだ。これは、様々なスタイルの調性音楽の中に、重要な共通点があることを示唆している。五つの特徴を組み合わせる方法は限られているため、パレスチナ様式の作曲家からビルエヴァンスまで、同じテクニックを使うことになった。第二章では、初期の西洋音楽と本当に最近の音楽を結びつけるよく知られた作品を実際に検討しながら、この点について特に議論していく。




1.1 THE FIVE FEATURES
Let’s consider the five features in more detail, with an eye toward understanding why they might be so widespread throughout Western and non-Western music. A preference for conjunct melodic motion likely derives from the features of the auditory system that create a three-dimensional “auditory scene.”3 An eardrum, in effect, is a one-dimensional system that can only move back and forth. From this meager input our brains create a vivid three-dimensional sonic space consisting of individually localized sounds: the phone ringing in front of you, the honk of a car horn outside your window, and the sound of a droning music theorist off to your right. To accomplish this dazzling transfiguration, the brain relies on a number of computational tricks, one of which is to group sonic events that are nearby in pitch.4 Thus, a sequence like Figure 1.1.1a tends to be heard as belonging to a single sound source, whereas Figure 1.1.1b creates the impression of multiple sources. In this sense, small melodic steps are intrinsic to the very notion of “melody.” Figure 1.1.1 Small movements sound melodic (a), while large registral leaps create the impression of multiple melodies (b).




1.1「5つの特徴」

 5つの特徴について、より詳細にみていくこととする。なぜこの特徴が西洋と非西洋の広範な範囲にわたって存在しているのだろうか。「旋律の順次進行性」はおそらく『三次元の聴覚世界』をつくりだすシステムに由来している。 鼓膜は実際には単に前後に動くだけの、1次元のシステムでしかない。しかし脳は、この小さな刺激から鮮明な三次元の音響空間を作り出すのだ。ここではそれぞれのサウンドは個別の処理がなされている。電話があなたの目の前で鳴り、車の警笛が窓の外で、そしてドローンミュージックがあなたの右側に聞こえてくる。このように聞こえるようにするため、脳は沢山の計算上のトリックを使っている。その一つは、音高の近い音をひとまとめに認識することだ。結果として、図1.1.1aのような譜例は単一の音源から発せられた音と認識され、反対に1.1.1bは複数の音源からなるように聞こえる。この意味では旋律が小さい動きをとることは、まさに旋律の概念に生来的な要素なのだ。
(図1.1.1) ー(小さい動き(a)は単一の一塊の旋律として聞こえ、跳躍の大きい動き(b)は複数の旋律に聞こえる。)

2013年6月3日月曜日

TIPS ピアノの演奏 和音

ピアノ演奏において、和音とメロディを同時に、もしくは平行して演奏する必要がある場合がある。

その場合は大抵、親指と人差し指がハーモニーを担当し、残った中指以降がメロディを演奏する。

このときに注意したいのは、実はメロディのラインを弾く場合と和音を弾く場合に、適切な手のポジションが異なるため、和音とメロディが混合する場合にはそれを切り替える必要がある、という点だ。

では、和音を弾く場合と、メロディラインを弾く場合に、どのようなポジションの違いがあるだろうか?

和音の場合、当然二本以上の指を使う。特殊な事情がない限り、この複数本の指の力が等しくになるようにする必要がある。

またこの力は、指によって生じるのではなく、どちらかというと手の重みによって生じるべきだ。

手の重みとはつまり、上腕、前腕の力を抜いた時に、自然に落下する手の甲の重みである。

手の重みを利用し指にかかる力を均等にしようとすると、自ずとそのポジションの可能性は少なくなってくる。この後に説明するメロディラインを弾く場合のポジションに比べて、可能性はずっと少ない。

だから和音とメロディを同時に弾く問題は、この和音のポジションを取れるような動きができるか、ということにかかっている。

またこのポジションどりは、使用する指の本数が多いと、ほとんど一箇所に決まってしまう。

例えば四和音を弾く場合には、二和音を弾く場合に比べて、ずっと可能性が少ない。

これは四本足の椅子に座る場合に、安定するポジションの可能性を考えてみるとわかりやすい。

四本足の椅子に安定して座る場合に、座面が床に対してとる角度は、一つしかない。

それどころか、椅子の足の長さがアンバランスで、安定しないことさえあるかもしれない。四本足の椅子が安定するのは難しい。

次に二本足ならどうだろうか?この場合も、本当に安定するポジションは一つしかない。その一つ以外は、本当に安定するポジションよりも、多少は指の力での補助が必要になってしまう。それでも四本足に比べればまだ柔軟性はある。

和音を弾く場合、使用する指の本数が増えるほど、安定するポジションが少なくなり、そのポジションをとることが難しい。

では、メロディラインの場合はどうだろうか。

シングルトーンのメロディラインを弾く場合、指の選択に自由さがかなり残されている。

例えばド、ミと順番に弾く場合には、ドを親指でも人差し指でも、すべての指を選択できるし、ド弾くためにどの指を選択したとしても、次のミも同様にどの指でも選択することができる。

つまりシングルラインを演奏する場合には、和音に比べてポジションの選択肢が多いため、和音とメロディラインを同時に演奏する場合には、もっぱら和音のポジションどりだけを気にすれば良い、ということがいえる。

ちなみにシングルラインを演奏する場合にも当然制限はある。例えばオクターブ離れた音を順番にレガートで演奏する場合、親指と小指以外の選択はほとんどない。

音が離れている場合にはかなり選択肢が狭まるのだ。

まとめよう。和音とメロディを同時にもしくは平行して演奏する必要がある場合、限られたポジションしか取れない和音について特に気にする必要がある。次に跳躍の幅が広いシングルラインを考慮しよう。

以上です。




2013年2月6日水曜日

レビュー?別宮貞雄「ドビュッシー 前奏曲集 第一巻 全曲研究」

新しい本が来たので、勉強しながらレビューします。

別宮貞雄「ドビュッシー 前奏曲集 第一巻 全曲研究」
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC-%E5%89%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E9%9B%86-%E7%AC%AC1%E5%B7%BB-%E5%85%A8%E6%9B%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E5%88%A5%E5%AE%AE%E8%B2%9E%E9%9B%84/dp/4874631681

メシアンによるドビュッシー分析を、代筆したような作品。
筆者はフランス六人組の一人ミヨーに師事。
その後メシアンにも師事。
メシアンの分析の本はこちらも参照されたい。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E5%88%86%E6%9E%90-%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8-%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%B3/dp/4118100916 …


メシアンの作曲の授業はブーレーズもうけてる。その他にもシュトクハウゼン、クセナキスなど、なだたる作曲家がうけている。現代音楽に圧倒的な影響を与えているものと思われる、


以下、著作ではクラシックの和声の表記が使われているが、私はジャズメンなのでコード標記も駆使します。

○和音における五度音の変質
―五度が半音上昇(変化)した和音―

C E G#という和音。(Caug)
これはC E Gの和音の五度(G)が半音上がった(変化)した和音である。
これを下降変質和音という。

ちなみに、この和音は、Amキーの和声的短音階(Aマイナースケールの、7番目の音(G)を半音あげたスケール)の3度(C)にできた和音である。

しかしこれがAmキーででてくることは少なく、むしろ、
コード:C → Caug →F
という進行の中で出てくることが多い。

―五度が半音下降(変化)した和音―
C E Gbという和音。(コードでは表記しづらい)
これはC E Gの和音の五度(G)が半音下がった(変化)した和音であるが、この形で使用されることはほとんどない。

大抵の場合は、
Gb C E
つまり、最低音が下がった形、
第二展開系で使用されることがほとんどである。

さらにいうと、3和音で使われることもほとんどなく、
7の和音もしくは9の和音で使われることがほとんであり、
以下のようになる。

Gb C E Bb←FメジャーのドミナントコードC7の5度が半音下がった形。
Gb  E Bb Db←FマイナーのドミナントコードC7b9のルート省略形の五度が半音下がった形。

―解決先―
Gb C E Bb
Gb  E Bb Db

どちらの和音も、EがFに、GbがFに解決しようとする。
このように解決された音(F)はドミナントノート(その調の5番目の音。たとえばCメジャーならG、GメジャーならD)に聞こえる性質があるので、FがドミナントノートになるBbメジャーキーのように聞こえる。

なるほど。

Gb C E Bb(?)→
F D F Bb(Ⅰ46)→
F C F A(Ⅴ)→
Bb D F Bb(Ⅰ)解決

なるほど。

最後の和音Bbを、分かりやすくCにしてみよう。
つまり、全体を全音移調させる。
すると、

Ab D F# C(D7の五度が半音下がったもの)→
G E G C(C)→
G D F B(G7)→
C E G C(C)解決

おーわかりやすい。
ようはドッペルドミナント(の五度下げ)→トニック→ドミナント→トニックというコードや!!!

最初の変化和音はドミナントコードではなく、ドッペルドミナントだったんだね。
だいたい、ドッペルドミナントの変化形であると考えてよい。



つぎに、
Gb  E Bb Dbこいつ。
こいつも解決先は同じだが、
これも先ほどと同じように全音移調させると、

Ab F# C Eb
こいつは実はAb7だよね。


Ab D F# C(Ab7、Ⅴ/Dbでもあるし、V/Vでもある!!)→
G E G C(C、Ⅰ46)→
G D F B(G7、Ⅴ)→
C E G C(C、Ⅰ)解決

ってなってるね。

Gb  E Bb Dbは、



D7b9(D F# A C Eb)のルート省略形(F# A C Eb)
からさらに五度を下げたもの(F# Ab C Eb)、

もしくは、
Ab7―つまりDbをⅠと考えた時のⅤでもある。

なるほどなあ。