2014年7月20日日曜日

物語の体操まとめ

1章 タロットカード的にストーリー進展の象徴を決め、ストーリーを乱作すること。
何かモチーフがあれば、それを繋げてストーリーを作る力が人には内在していることの証明。

二章 盗作
有名作品を抽象化し、構造化し、そこから自分の作品をつくろう。ここではどろろが使われる。
異形の生まれ 権力者の父

三章 法的式
未読。

四章 世界観と物語
世界観と、その中での繰り広げられる物語の二つの構造がある。世界観を村上龍に借り、物語をつくろう。どちらも作れるようになればなおよし、物語を作るだけでも力がつく。なんなら、世界観を作り上げてしまえば、その中で大量生産するガンダム方式もありだ。

五章 ストーリーの原型 異世界に、行きて帰りて、成長する話 ババアが出てくる

花一匁に象徴されるように、行きて帰りて、が遊びの本質である。仮の住まいにいき、異形のろうじんがいて、成長して戻ってくる。

六章 映画や漫画のノベライズは、既にストーリーに必要な情報が捨拾されているので、書く、という力をつけやすい


物語の体操 六章

映画や漫画のノベライズ
物語を構成するに必要な情報が既に提示されているので、これを汲み取り、文章にするという過程の訓練。


物語の体操 四章

世界 設定
趣向 設定の中での、ストーリー一つ

世界と趣向、どちらも創造するのが一番ベストだが、趣向だけの練習も意味がある。おって、世界を作れるようになればよい。そのために、村上龍を下地にする訓練をお勧めする。

第五章
物語の原型 いってかえってくる
花一匁的な、いって帰ってくる運動は遊びの本質。子供受けが良い。異世界にいって、戻ってくるとか、冒険に出て帰ってくるとか、

仮の住まい 成人 偉業の老人
赤ずきんや、ヨーダなど
森の奥にいる偉業の老人がいる、日常ではない仮の住まいで、成長をする構造

村上春樹のいって、うまくかえって来れない、不安な物語がよく描かれる。

物語の体操 二章


英雄の特徴

異常誕生

2014年7月19日土曜日

物語の体操 実作1章

物語の体操 メモ 1章




複製時代の芸術において、逆説的にオリジナリティへの憧れがある。小説家は、複製の大元であるオリジナリティを持つ人間であると認識されているからこそ、リスペクトされているのでは。という提案。
秘技、特権、逆説的、複製もとのオリジナリルとしてのオーラ。


小説家に、なりたいたが、なれない、ワナビー。これは、小説という制度の下部構造を形成するとても大切な存在です。そういう無数の人々の存在があって、初めて、小説家の特別な存在としての地位は保たれるのです。


カードを五枚くらい見て、それでストーリーを作る能力が五歳ぐらいからみんなある。体験の解体、再構成、関連づけ、とおこなっていると説明できる。

キャラクターカードや、りかちゃん人形が欲しい、のは、おはなし、の解体と再構成、をめぐる欲望であり、ごっこあそび、はそれを行為とし表出したもの、ということになる。

その訓練をしてきた、能力を発達させてきた人が、ストーリーテラーである。




タロット的なシンボルカードを使ったプロット作成訓練。

2014年7月12日土曜日

サドルを変えたら痛みが激減した話。



 7月から、世界最大の自転車競技イベント「ツールドフランス」がスタートしました。日本に住んでいるとあまりピンとこない人が多いかもしれませんが、ツールドフランスは自転車競技界に置けるワールドカップのようなもので、その盛り上がり・注目度・人気がヨーロッパではとてもすごいんです。日本でも少年漫画雑誌「チャンピオン」で連載中の「弱虫ペダル」人気の影響で、ロードバイクファンファンが急増し、結果的にツールドフランスを見る人も急増しているそうです。ワールドカップが終わったらツールドフランスで盛り上がる、という手もありますよ!みなさん!!

 さて、今回は自転車ユーザーの悩みの種「お尻の痛み」が「サドル変更」によって劇的に改善した、という話です。今回は「白いサドル」に変更しました。もともとは、「黒いほうのサドル」を使ってました。

 新しい「白いサドル」は中央部に穴が空いており、「軟部組織」への圧迫を低減させます。「軟部組織」とは、骨盤内側のエリアにある尿道や性器・肛門といった内蔵関係です。ここは内臓ですから当然座るためにはできておらず、この部分が常に圧迫されると痛みが生じてしまいます。ですから、隙間を空けて圧迫されないようにしているのです。


黒い方から白い方に変更。固く、穴があいたモデルに変更。

 座ったことが無い人だと、細長くて、穴まで開けてしまって座るところが少なく、パッドもほとんどないこのモデルは、「痛そう」だと感じると思います。しかし、その感覚に反して、「実は固いサドルのほうが軟部組織への圧迫は少ない」のです。

 パッドが柔らかくて沈み込んでしまうようなモデルだと、座ったときにパッドにお尻がめり込みます。めり込むということは、パッドが常に「押し返してきている状態」ということでもあります。座骨など固い部分は押し返されても全く問題ないのですが、軟部組織は押されることによって痛みます。つまり、柔らかいパッドはめり込むぶんだけ、押し返しもするのです。実は「サドルによる痛み」の大半が「パッドが柔らかいこと」に起因しているのかもしれません。

 それにたいして、固いパッドは、綺麗に骨で乗ることさえできれば、沈み込みに伴う「反発」がないので、痛くないです。しかもこの「白いサドル」は、中央部分がくりぬかれているので、さらに圧迫が少ない。

 今のところ「白いサドル」に変えて、超快適になり、圧迫感ゼロです。チャレンジしてよかったー。「スペシャライズド」というメーカーの「ROMIN」というシリーズの一番下のモデルです。1万くらい。このサドルを選ぶ上で大事なのは、座骨の幅です。幅がフィットしないとだめです。僕が行った「なるしまフレンド神宮店」では専用器具で計ってくれました。で、幅143mmメートルのやつにしました。座骨の幅は、体格によっても異なるし、特に男女差が激しいので、あったものを選ぶのがとても大事です。

 ちなみに「なるしまフレンド神宮店」さんは、とても丁寧に対応してくれました。結構人気があるお店みたいで、店内は人で溢れ、接客待ちするレベルです。パーツやウェアも沢山あるので、とてもいいです。

なるしまフレンド神宮店
http://www.nalsimafrend.jp/shop/jingu.html

 さて、もう少しサドルについての考察を書きます。結局のところ、サドルで重要なのは、座るべき場所にあたる箇所を固く、そうではない場所は柔らかくするかもしくは無くしてしまう、ということが大事なのではないかと感じました。わかりやすいところでいうと、サドルが細長くなったことによって、ペダルを漕ぐ際に太もも・股間まわりがサドルにぶつからず、擦れないので、痛くなくなりました。でかいママチャリサドルのようなものだと、足がサドルにぶつかるので早くこげないのですが、細いとぶつからないので早くこげます。必要ない場所は邪魔になるので、ないほうが痛くないんです。でかくてふわふわしたサドルの方が痛くないってことは、実は無い。

 ただし、この考え方は座り方が適切であることと、早く走るという目的がある場合にのみあてはまります。そもそも座骨ですわれていないと、固いサドルでは痛みます。早く走りたくない人は、そもそもロードには乗ってないと思うので、そんな人はほとんどいないと思いますが。ある程度の速度を出して、快適に走りたい場合、「固くて細長いサドル以外に選択肢はない」です。パッドを増やしたり、大きなモデルにするのは、無意味です。一度固くてヤバそうなサドルの海に漕ぎだしてみましょう。新しい発見があります。僕はありました。

 新しいサドルに変えただけで、かなり早く楽になりました。ここまで変わるとは!という感じです。サドルの変更はめちゃくちゃ変化が大きいのでコストパフォーマンス的にも意味があるかんじします。次はタイヤ周りかな。ホイールは結構価格がしますが、これもかなり走りに影響するとのことなので。

 ということで、ベストなサドルが皆さんにもみつかるといいですね!!!


 







2014年7月6日日曜日

練習の秘訣は丁寧に聞くこと

今まで色々練習の方法を工夫してきたけど、結局のところ、耳で注意深く聞いて、かっこいいと思えるような状態を想像し、そこに近づけて行く、というのが1番の練習だった。

主にこれはドラムの話です。

リズムがうまくはまらない、と悩んできたけど、一番いいのは、この方法だった。

2014年7月2日水曜日

映画「ホドロフスキーのDUNE」を見たら、リンチの「DUNE」も見てほしい。

 渋谷アップリンクにてドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」をみてきました。
http://www.uplink.co.jp/dune/

「DUNE」は伝説的なSF小説で、後世に大きな影響を与えています。ナウシカに登場する巨大な虫「オウム」は、DUNEに登場する巨大なワームに酷似しています。

DUNEに登場する大型の虫。砂虫。

 この小説「DUNE」を、映画監督であるホドロフスキーは映像化しようと試みましたが、結果的には実現することができませんでした。映画「ホドロフスキーのDUNE」は、この出来事についてのドキュメンターリー映画です。

 さてホドロフスキーの試みは頓挫したものの、プロットやコンテ、それから登場人物やクリーチャー、建築物、宇宙船といったデザインは、かなりの所まで詰めていたようです。しかもこの仕事は、後に「エイリアン」のデザインを手がける「ギーガー」、バンドデシネ*1の巨匠となる「メビウス」といった当時気鋭のアーティストによっておこなわれています。音楽はピンクフロイドにマグマ*2。この段階では、最高のものができるはずでした。

 *1 ベルギー・フランスを中心とした地域の漫画で、日本ではAKIRAの大友克洋、宮崎駿などの作風に大きな影響を与えている。

*2 フランスのプログレッシブロックバンド。オペラチックなボーカルとスペース・オペラ的な長大な物語、個性的で強力なリズム隊と分厚く呪術的な混声合唱が特徴。

 しかし、ホドロフスキーはカルト映画の人間です。つまり、「普通の映画」という枠には捕われたくない人間です。上映時間20時間の映画にしたい、なんてことをいいだす。結果として、映画会社はこの企画にOKを出しませんでした。つまりホドロスキーはこの映画の制作資金を得ることができなかったのです。お金がなければ監督は映画を作ることはできません。計画は頓挫します。

 頓挫したこの企画は、9年後にデヴィッドリンチによって映画化されます。

 以上が、SF小説「DUNE」とホドロフスキー、デヴィッドリンチの関係です。もう一度整理します。伝説的なSF小説「DUNE」。ホドロフスキーが映画化しようとするが挫折する。後にデヴィッドリンチが映画化。今回の映画では、ホドロフスキーの挫折が描かれています。

 さて、この記事で皆さんに訴えたいのは『映画「ホドロフスキーのDUNE」を見たら、リンチの「DUNE」も見てほしい』ということです。

 リンチ版の「DUNE」は正直言って評判がよくありません。本人も失敗だといっています。確かにSFに慣れていない人はストーリーをつかめないかもしれない。わかりずらい。

 けれども本当に駄作かというとそんなことはないと思います。見る価値のある作品です。僕は小さい頃にこの作品をみていたく感動しました。スターウォーズよりも、ブレードランナーよりも、マトリックスよりも、リンチの「DUNE」が大好きな子供でした。「DUNE」が提示した世界観は、超クールでした。

 だからリンチの「DUNE」も見てほしいのです。

 確かにホドロフスキーがやろうとしたことは偉大でした。しかし、だからといってリンチの「DUNE」が偽物の「出来損ない」ということにはならないでしょう。リンチのDUNEは、ホドロフスキーとは関係なしに、見る価値のある素晴らしい作品なのです。

 なぜ僕がこんなことを訴えているかというと、「ホドロフスキーのDUNE」をみたひとはきっとこう考えているのではないかと思ったからです。つまり「ホドロフスキーは偉大で素晴らしい作品をつくる準備ができていたが、それを映画会社が理解せず、制作は中止になった。その後にリンチが作品化したが、これはホドロフスキーのものに比べると良くない。本当のDUNEはホドロフスキー版である」と。

 これは大きな間違えです。

 第一に、「DUNE」の設定は、もとから素晴らしいのです。このことを忘れてはいけません。DUNEは映画化の構想より前から絶大な人気を誇るSF作品でした。だから、監督とは関係なしに面白い世界観を持っているのです。ホドロフスキーが全てを考えだしたように思っている人、それは違います。

 砂の惑星。幻覚を誘発するドラッグである「スパイス」。「スパイス」は、砂漠に生息する巨大な虫の排泄物です。そして「スパイス」によって得たスピリチュアルな力と数学の力で、宇宙船はワープをします。この「スパイス」をめぐって帝国の中央部と辺境の砂漠の民が様々な戦いを繰り広げます。この中で英雄が立上がってくるのです。「DUNE」はもとから面白いのです。誰が映画化しても、この面白さは「DUNE」のものなのです。これを忘れてはいけません。

 第二に、映画の「案」と、実際に映画化された「作品」を比べることはできません。もし比べるとしたら、「実際に映画化された作品」の方が優れているに決まっています。「案」と「作品」は同じ土俵には並ぶことはできません。実際の形にするために、アーティストは様々な妥協をします。妥協という言い方は良くないかもしれません。今できるベストをつくすのです。その過程で、アーティスト本人が納得できないことが沢山出てくるでしょう。それでも作品をつくるのです。葛藤しながら。この葛藤を経ていない段階で、いくら良い物ができるはずだ、と予想しても、それは全く見当違いなのです。実際に完成させなければ、どんな形になるかなんてことは誰にもわからないし、作品は自分の思い通りにはできないのです!!!特に映画のような予算と時間が限られた芸術に置いては!!

 この第二の点で、ホドロフスキーは所詮カルト映画の人間なのだ、と私は感じてしまいました。2時間の映画という「フォーマット」の中で戦う気がない。それで映画会社が理解しない、なんていうのは子供じみている。

 リンチは、自分でも納得できなかったかもしれませんが、DUNEを映像化しました。この映像は、今までにない世界観を表現していました。今見ても唯一無二だと思います。リンチのDUNEもとても素晴らしい作品です。だから見てほしいのです。

 以上が私が皆さんに訴えたかった内容ですが、このままだとあまりにホドロフスキーがかわいそうなので、彼を多少弁護します。
 
 ホドロフスキーが「ギーガー」と「メビウス」をSF映画の世界にひっぱりこんだことは、後のSF映画に大きく影響を与えていると思います。実際、「エイリアン」には、この時のスタッフが何人も関わっています。それから、彼は「メビウス」の作風に大きな影響を与えました。映画頓挫以降にメビウスによって書かれた「アルザス」、「アンカル」といった作品は後のSFビジュアルに大きな影響を与えましたが、この作風はホドロフスキーとの出会いなくしては確立されなかったといえるでしょう。
 
 と、彼を十分擁護したので、翻って彼を貶めると、SFに与えた影響は、明らかに「原作の面白さ」と「メビウス」、「ギーガー」のデザインなのです。別にホドロフキーはそんな関係ないんじゃないかなあ。これはわかりませんが。

 ということで、リンチの「DUNE」もみてくださいね。

 ではまた。


DUNE砂の惑星 映画版 予告編