2014年10月20日月曜日

Just the two of us タイプのコード進行に関する講義を行ってきました

Just the two of us はありとあらゆる楽曲で使い倒されているコード進行ですが、まだまだ使い倒せます。という講義をしてきました。

レポートと講義資料はこちらからどうぞ。
http://neralt.com/eventrepotfm1019/

2014年10月1日水曜日

音楽理論のサイトができました。neralt.com

neralt.com

本を出すにあたって新しく音楽理論だけのサイトをつくりました!!
テーマが音楽理論の記事は neralt.com に投稿していきます。

こちらのブログはわたくしのどうでもいい日常のぼやき中心になる予定です。

今後ともよろしくお願いします。

2014年9月24日水曜日

ジャズ界で有名な用語「ドミナントモーション」は日本人しか使っていない

現在、音楽理論の電子書籍「Traditional Music Theory for Contemporary Musicians」を書いているのですが、正確な記述にするため様々な英語文献を参照するように心がけています。

ドミナントモーションの項目を書く際に、文献にあたったところ「ドミナントモーション」という表現を見つけることができませんでした。また、検索しても英語圏ではみつけることができません。

「ドミナントモーション」は恐らく日本でしか使われていません。私も音楽理論オタクとして小学生の頃からこの手の本を買っていますが、どの日本語の本にもドミナントモーションの項目は必ずあります。しかも序盤に。その「ドミナントモーション」が日本でしか使われていないとしたら、今まで自分が学んできたことは一体なんなのか、と途方にくれます。

さて、この「ドミナントモーション」という用語が日本でしか使われていないとしたら、最初に言い出したのは誰でしょう。

それは恐らく渡辺 貞夫さんです。サダオさんが書いたジャズスタディが、最初に流通した日本語によるジャズセオリーの本だと言われています。

ジャズスタディの本文2ページ目にさっそく、ドミナントモーションが出てきます。

dominant motion
dominant motion
この本は、日本にはじめてジャズに関するセオリーを伝えたという功績があります。ネベサダさんがいなければ、セオリーは広まっていなかったでしょう。

では、一体ドミナントモーションに対応する用語は、何が使われているのでしょうか。

一番使われているのは「Authentic cadence」です。これがⅤがⅠに解決されることをさす単語としては一番使われます。ほかには単に「resolution」という用語もよく見かけます。「motion」という表現はほとんどありません。

ドミナントモーションやアヴェイラブルノートスケールといった用語は、日本だけのものとはいえ、非常に便利なものではあります。欧米で使われていないからといって、そのまま間違えとは決して思いません。

しかし、私を含む後続の人間が国内の書籍のまた引きを繰り返してテキストを書くという怠慢をしてきた結果なのではないでしょうか。

「Traditional Music Theory for Contemporary Musicians」の詳細については、こちらのブログもご参照ください。11月に発売予定です。





2014年9月17日水曜日

メモ/コンセプト Traditional Music Theory for Contemporary Musians

Neralt 著「Traditional Music Theory for Contemporary Musician」は、現代の音楽家に対して、ジャズやソウルの演奏家といった過去の音楽家が持っていた、もしくは使用していた「伝統的な音楽の知識=音楽理論」を提供します。この伝統的な音楽的知識は、単に過去の知識ではなく、現在の音楽家にとっても価値のあるものであり、未来の創作につなげることができます。

伝統的な音楽理論の重要性は、2つの理由で現代で一層重要性が増しているといえます。

1)
現在の音楽制作はDAWに代表される「テクノロジー」に主導されるようになりましたが、リスナーがいまだメロディーやコードと行った古典的要素に強く惹かれるという事実を、認めないクリエイターはいないでしょう。この古典的技術は、時代遅れになるどころかむしろ、テクノロジーに長けたアーティストが増えるにつれて、一層重要になってきています。結局のところ、いくらテクノロジーが音楽を先導するからといっても、最後はメロディやコードといった要素がクリエイターの主要な関心であることは変わりません。伝統的な音楽技術を学ぶことで、転調やコードといた基礎的な問題に悩むことがなくなり、一層クリエイティブな問題に集中することができます。

2)
本書は現役で活躍するミュージシャンの要望に応えるために制作されたワークブックであるため、面白さや楽しさよりも、完全にマスターすることを主眼においています。
ただし、レベルは楽譜の読み書きが多少出来る、いくつかのコードが演奏できるレベルの読者を想定しています。

レコードが過去のものであるにもかかわらず、むしろの伝統性によってトレンドとなっているように、音楽理論の伝統性がむしろ逆説的に、現代的であるようにせねばならない。

2014年9月8日月曜日

書籍「Traditional Music Theory for Contemporary Musician」について

伝統的な音楽理論を、コンテンポラリーなミュージシャンに提供する書籍『Traditional Music Theory for Contemporary Musician』を現在執筆集で、11月出版予定です。本書に強い興味をもっていただけた方、また今後の改善にご協力いただける方は、ぜひご連絡をお願いいたします。


そのためのブログを立ち上げました。
http://musictheoryworkshopjapan.blogspot.jp/


Email:musictheoryneralt@gmail.com

新アカウント
twitter:@MusicTheoryNera


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Neralt 著「Traditional Music Theory for Contemporary Musician」は、現代の音楽家に対して、ジャズやソウルの演奏家といった過去の音楽家が持っていた、もしくは使用していた「伝統的な音楽の知識=音楽理論」を提供します。この伝統的な音楽的知識は、単に過去の知識ではなく、現在の音楽家にとっても価値のあるものであり、未来の創作につなげることができます。







音楽理論書籍のマーケティング/新コンテンツを市場に適応した形に修正する

今書いているNeralt二冊目の音楽理論書籍「Music Theory」は、コードやスケールといった基礎的な知識を初学者向けに提供するコンテンツですが、コンテンツとして一番致命的なのは、ユーザーが欲しくないものを作ってしまうことです。

音楽理論書籍でユーザーが欲しくない物とはつまり、「読んでもわからない」です。もしくは、「こんなことは、知りたくない」もあるでしょう。音楽理論はそもそもニッチな市場ですから、せめて待っている人の期待に応えなければいけません。

書籍は本質的に会話とは異なります。読者からの反応がわかりません。

つまり、会話であれば、ここがわからない、とかもっと説明が欲しいと言われれば、それを補足することができ、結果として相手の満足度は保たれます。もしくは、ユーザーに合わせて例や学習の対象をあらかじめ変更することも出来ます。

しかし、本は書いてリリースしてしまった後は、完全に一方通行になってしまいます。わからない人は読むのを辞めてしまいますし、なんか自分の学びたい内容と違うなあ、という人も辞めてしまうでしょう。

そして何よりも、このようなニーズに応えることのできない商品は売れません。

様々なマーケティング手法がありますが、まず何よりもコンテンツが顧客のニーズに応えていること、コンテンツが顧客の課題を解決できるものであることが大事でしょう。コンテンツが優良であってはじめて、それを広めるマーケティングが有効に作用するでしょう。

と、考えていたところ、そもそもユーザーのニーズってどこなの?そして自分のコンテンツがそれに応えられているのかなあ、という課題をどうやってクリアーするかということが、ある程度書籍が完成するにしたがって顕著になってきました。

音楽理論自体は専門なので、いくらでも書き込むことはできるし、書くのは自分の問題なのでやればやったでけ進むので、本を完成させること自体は自分の根性でクリアーできます。

しかし、顧客との擦り合わせは、根性ではできぬ!ということで以下の本を買ってきました。

Running Lean ―実践リーンスタートアップ (THE LEAN SERIES)
http://www.amazon.co.jp/dp/4873115914



この本はまさに今の自分にベストな本で、新しいサービスや商品を、企業体ではないリソースの少ない個人が、如何に成功させるかをテーマにした実践的な一冊です。

この中で、僕が特に新しく気付いた点は以下の3つ
・アーリーアダプター(EA)が納得できるコンテンツをまずつくること。
・そして、その後にマジョリティに訴求できるコンテンツにしていくこと。
・アーリーアダプター(EA)には料金を払ってもらって、早めにコンテンツを公開。かつ、彼らと密に連絡をとって要求点改善点をもらい、コンテンツを修正していく。

この中でも強烈だったのは、まずアーリーアダプターに焦点を絞って、その人達が満足できるコンテンツをつくり、その人達に届けるためのコンセプトラインを示すこと。こうすることで、少なくともその人達が買うに値するコンテンツにはなる、と。

最初からマジョリティーに向けたピントのずれた戦略は、誰一人欲しくない可能性がある、と。まずは強い興味を持ってくれる人にフィットするものを作るのが大事だと。結果的にそれがその商品の独自価値になる、と。

なるほどなあ。なんとなく作曲をする人に向けて書くと、既存の大手出版社から出ている音楽理論の本と大差なくなってしまうし、買う方だって大手の本を買うと考えるでしょう。

そうではなくて、例えば僕が本を書いていると宣言したときにすぐに食いついてくれて意見をくれる方たちの方をしっかり向いて修正していく、という作業をすればより独自価値のあるコンテンツになるし、そのことが一番マーケティング上重要だ、ということですね。

僕のコンテンツに食いついてくれてる人は、大きく分けるとまず2つ
・DJやレコードコレクターなど、強烈な音楽マニア
・作曲か演奏をする人間、かつ初心者じゃなくて、既に曲を作ったりライブハウスで演奏しているようなセミプロの人

ということを考えると、幅広い音楽の初心者向けの必要はないのだろうな、と。強烈な音楽マニアの人達は、楽理には詳しくなくても、音楽はめちゃくちゃ詳しい。マイルスのカインドオブブルーのサウンドといえば、説明無くてもわかるし、AORのリズムがっていっても通じる。既に演奏や作曲している人も、自分なりのやり方を既に持ってるわけですよね。

だから、もちろん誰が読んでもわかるように用語の説明とかするけど、何も知らない音楽の初心者に向けて僕が書くのは、独自価値の創出という意味でもあまりないのかなあ、と。

演奏家にせよリスナーにせよ、強烈な音楽マニアに向けて書くのがベストなのではないか、と。実際反応があるのはそういう人達だし、前作が知り合いを超えて大きく売れたのも、フィンガードラミングが音楽に詳しい人がたくさんいるHIP HOPカルチャーに訴求できたからのような気もしているし。

このような様々の課題をクリアーするために、ランディングページを作成して、このブログを読んでくれるようなアーリーアアプターの皆さんに先行販売、かつ色々意見をいただいて、皆さんの課題を解決できるようなコンテンツにしていきたいと思っています。ご協力よろしくお願いします。

また、皆さんがどんな課題をクリアーしたいのかを明確に私が把握するために、有料になりますが、具体的な楽曲(自作曲でも有名な曲でも)を分析して、その上でどんなコードやメロディやスケールを演奏すれば良いかのレッスンもやりたいなと思っています。音楽理論の本を買ってくれるかもしれない人は、その人それぞれの課題があるわけで、それをクリアーできるのであればこの本を買う価値があるし、ないのであれば、そもそも宣伝しても買うべきではない本ということになってしまので、まずは課題がなんなのかを私がつかむこと、次にそれを解決する内容をコンテンツに盛り込むことが必要ですよね。

ということで今後ともよろしくお願いします。残り半分書くぞー。















2014年9月2日火曜日

日記/創作に必要な自閉的意識

最近、人と会ったり、会話する機会が多かった。
こうすると、自分の意識が外に向き、内的な作業、つまり何かを書くとか、練習するとか、読書するといったことが難しくなる。

はっきりいってこういう作業は、そこまで刺激的ではないし、劇的な変化も引き起こさない。どこかにいったり、新しい人と会ったり、何かを買ったり、ということに比べれば、非常に退屈な遊びだといえる。

だから、内的な作業をするためには、一度外へ向かった意識を内側に戻してやる必要がある、と今日気付いた。そのために適切な方法が何かはわからないけれど。

一つの解決策として、単に内的な作業をひたすらする、という方法が考えられる。あたりまえだけど。鍵盤に向かってひたすらボイシングを確認するとか、Drop 2 をひたすら練習するとか、こうやってくだらない文を書くとか。

こういった行為は結局のところ誰も肩代わりしてくれないし、できない。内容がどうであれ、自分がやらないと絶対に進まない行為である。その時に人は内的になると思う。周りの何かに流されてできるものではないからだ。

もう一つの方法は、自転車で街を走るとか。一人で紀伊国屋に行くのも、バルトナインにいくのもいい。一人で街を走っていると、こんなに新宿に人が沢山いるのに、誰も自分のことを気にかけていないし、知っている人もいない。そして歩いている人とは速度が違うから、接点も持てない。すれ違い続けることができる。本質的に一人になることができる。インターネットは本質的な孤独ではない。むしろ、インターネットの中では、街よりも他人との交流は盛んだ。知らない人と会話することも多い。本当に孤独なのは喧噪の中なのではないか。

一人で映画館にいくのも同じ効果がある。同じ映像を、同じ空間でみんなで見ているが、お互いに同じ話をみているが、お互いに話すことは無いだろう。そして同席している他人は、より本質的な他人になる。そして他人はむしろ、自分の内的な意識のオブジェクトとなる。つまり、そこにいるのは自分の心象風景の登場人物になる。

こうなってくると、物を書くのがやり易くなる。物を書くというのは、基本的にこの世界の事実を書くのではない。自分というと閉じた世界に、多少開いている窓から入ってくる限定的な光を描く。ピンホールカメラに空けられた針先と同じ大きさの穴から、漏れてくる光を写し取る感覚に近い。結局のところ世界だと思っている物は、自分の非常に狭い視野から入ってきて、自分なかで結ばれる虚像でしかない。

ということでしばらくまた、文を書いて、休憩時間に文を書く生活を再会します。


2014年8月28日木曜日

音楽理論とは、料理のレシピと素材です。


 先日、私の処女作「RHYTHM AND FINGER DRUMMING」が紙版、データ版合わせて120冊の販売を達成しました。購入していただいた皆さん、宣伝してくれる皆さん、本当にありがとうございます。皆様のサポートのおかげです。


 さて、調子に乗りまして、第二作目を執筆中です。今回は、私の本来の専門であるいわゆる音楽理論、つまりコードとかスケールについて、基礎から書いた本です。内容自体は古典的な内容ですが、今後応用的な内容の本を出すにあたって、基礎的な内容をおさえておく必要があると考えました。ご期待ください。

 今回は、その第二作から、一部コラムを抜粋してご紹介します。テーマ自体は何度も扱っている、音楽理論とは何なのか、何の役に立つのか、ということです。料理を例えに説明しています。音楽理論が苦手な人も、嫌いな人も、読んでいただけるといいなと思います。



 Column 1


 私たちは、メジャースケールか、もしくは全音を使って説明を始めます。何故なら、メジャースケールと全音とが、音楽の一番基礎的な素材だからです。基礎的な素材だということはつまり、音楽の中に一番表れる素材だ、ということです。様々な音響的素材の組み合わせによって音楽は構成されていますが、メジャースケールと全音とが最も表出し、そして汎用性のある素材であるからこそ、音楽理論という体系のスタート地点で説明されるのです。ですからまず、この二つの音響的素材について熟知する必要が、皆さんにあります。この点は何度強調しても足りません。

 さてメジャースケールの重要性についてもう少し話をします。私たちが20歳までに聴く音楽のうち約9割が、メジャースケールか、もしくはメジャースケールに関連するマイナースケールの体系的知識によって説明されうるでしょう。これはつまり、作者の意図がどうであるかは別として、メジャースケールが音楽において如何に支配的であるか、ということを物語っています。作曲者の考えとは関係なく、自然発生的にメジャースケールが立ち上がってくるのです。そして、メジャースケールがある種の重力のように音楽全体に影響を与えている事実から、「帰納的」に我々はメジャースケールを「重要な法則」だと認めることになったのです。

 ここで私が「帰納的」と申し上げたのは、あくまでメジャースケールは音楽以前に存在していたのではない、という点を強調したいがためです。帰納とはつまり、個別の事象の集合から規則性を取り出す行為です。メジャースケールは音楽から取り出されたのです。決してメジャースケールが音楽を規定しているわけではないのです。その点を忘れてはいけません。

 しかし、この点を理解していない人が多くいるように思われます。つまり、音楽理論に自分の音楽を決定させたくない、と声高に叫ぶ人達のことです。当然ですが、音楽理論があなたにメジャースケールの内側に留まることを迫るようなことはありません。いつでも音楽的決定の主体はあなたであり、音楽理論もそのことをよくわきまえています。そうであるにもかかわらず、音楽理論に支配されることを望み、自身の音楽を攻撃されることを望む人達は、マッチポンプ的です。恐らくは特殊な性癖、つまりドMと呼ばれる人種なのでしょう。

 さて、繰り返しになりますが我々が取り上げる用語や定義 スケールやコードやドミナントモーション は音楽一般から抽出した素材である、ということをもう一度確認してください。これは規則ではありません。しかし、西洋料理一般からバターやオリーブオイルなどの素材に着目することができるように、音楽からスケールやコードといった素材に注目することができるということです。そして、自分のための料理にバターやオリーブオイルを入れることが出来るように、自分の音楽にスケールやコードを入れることが出来ます。結局のところ、どんな素材を入れたいかは、あなたがどんな味にしたいかによります。

 しかし料理にレシピがあるように、音楽のレシピも便利です。レシピから料理を作ることはよくあります。全てを自分で決める必要はありません。音楽も同様にレシピが助けとなることがあります。ところで、皆さんはトムヤムクンを食べたことがありますか。非常に複雑な味がします。何が入っているのかよくわかりません。しかしトムヤムクンのレシピがあれば、全くの素人でも比較的良い味になります。少なくとも最後まで作ることができるでしょう。レシピがなければトムヤムクンを作り始めることすらできません。レシピから初め、真のトムヤムクンを目指していけばよいわけです。音楽にも同じことがいえます。一見して何が起きているかわからない美しい音楽について、含まれる素材やその量、そして入れるタイミングを前もってレシピで知ることが出来れば、あなたの美しい音楽の手がかりとすることができるでしょう。音楽理論が担っているのは、主にこういうことだといえます。主要な素材に着目し、その組み合わせを提示する、というのが音楽理論の価値です。

 さて、この料理のたとえを使って、先ほど言及した声高な人々について考えてみましょう。彼らは、ある料理のレシピを拡張して考えすぎます。つまり、「トムヤムクンにはエビのペーストを入れると良い」といっているにすぎないのに、「全ての料理にエビのペーストを入れると美味しくなる」と拡張します。そしてついには「ゼリーにエビのペーストを入れたら不味かった!このレシピは間違っている!」と怒りだします。おそらく彼らには教育がたりません。


 ここまでの料理を用いた説明でご理解いただけたかと思うのですが、我々が学ぼうとしているのはある種の様式なのです。様式とは素材と素材の適正な組み合わせです。そして様式は時代によって変化します。また、様式の変化は過去の様式との対比の中で生じます。つまりイケている様式は、その少し前の様式の克服によって生じるのです。様式は時代により変化するものであり、常に通用するものではありませんが、しかし全ての様式は歴史的なつながりをもっています。我々が音楽理論で学ぼうとしているのは、この時代ごとの様式であり、様式の歴史的なつながりなのです。この点を忘れずに以降の項目を学んでほしいと思います。

2014年8月19日火曜日

日記/ストリートカルチャーの中の自転車/BMX、ピスト

 先日「PEDAL DAY」@代々木公園 という自転車イベントに遊びにいってきました。
http://pedallife.com/

 「PEDAL DAY」は自転車関連グッズのお店、自転車チームなどがたくさん出店するストリート系自転車イベントです。ファッション系の自転車グッズが売られています。通常自転車屋さんにいくと、ガチガチの競技系ウェア(ピチピチのタイツみたいなやつとか)、早く走るためのパーツがメインになるので、それよりももっとカジュアルな自転車ライフスタイルに適したグッズが「PEDAL DAY」では手に入ります。

 また、下の写真のようなBMXと呼ばれるタイプの自転車によるイベントも開催されていました。これ見たことありますか?

BMX

 
  BMXではいろんな競技がありますが、ひとつ下の動画をみてみてください。これは、フラットランドといわれるスタイルの競技です。


~REAL TOUGHNESS TOKYO 2013 ~ BMX FLATLAND BATTLE FINAL 【FULL】

 
 クルックル回ってましたね。こんなかんじの自転車を使ったイベントが「PEDAL DAY」でも開催されてました。すごかったです。

 で、こういう自転車って、もしかしたら、ロード界隈ではあんまり人気ないのかなあ、と思って。もしくは知名度が低いのかなあ…と思って。そうだとしたらぜひ紹介させてください。

 ここでもう一個動画みてください。


 おいおいおい…ってかんじですけど。ここまでアグレッシブなことをやる人はほんとに
ごく一部ですが、こんなこともできます。オフロードを走ったり、スケボーのコースみたいなところで技を出したり、ジャンプ台から飛んだり。色々あります。すごい。

 で、このBMXなんですが、ストリート系の自転車カルチャーの中では、まず最初にくる重要なものなんです。というのも、そもそもストリートカルチャーの第一の人気アイテムはもちろん「スケートボード」ですが、感覚的にはこれの自転車版がBMXなんです。街で技をやったり、高くジャンプしたり…スケボーでやってることを自転車でもやるって感じなのがBMX
。なので、ストリートカルチャーの自転車と言えばまず、BMXっていう雰囲気があります。

 で、ちょっと話題になったピストなんかも、BMX的な遊び方でここに入ってきます。ようは、スケボーやBMXのように、技を練習して決める!っていう遊びのツールなわけです。ぐるぐる回ったり、ウィリーしたり。こう考えると、なんでピストにブレーキをつけない人が多かったのかが分かると思います。(良い悪いとは別として!)感覚的には、スケートボードにブレーキがついていないのと同じです。スケボーでは体重を移動させて止まるわけです。そういう遊びを自転車でやったのがピスト。ブレーキがついているとぐるぐるまわせないってのもあります。(ちなみにBMXのブレーキは、回転できるような特殊な機構になってます。)ということで、ピストにブレーキがついていない理由が「若者の無謀な見えはり」だと思われていた方も多いかもしれませんが、第一の理由は「競技上の問題」ということが分かっていただけたと思います。繰り返しになりますが、だからといって道路をブレーキなしで走ったらいけません。ちなみに僕がトリックを練習してたときの友人は大抵車でピストを持ってくるか、もしくは、ブレーキをつけて公園にきてそれで外してトリックをやってました。

 話をストリートカルチャーの中の自転車に戻します。スケートボードがまずあって、そこに似たような遊びとしてBMXやピストが入ってくる、って話でした。で、最近はその延長でさらにロードに来ている人もいます。こんな流れが大きくあると思ってもらえると、BMXにも興味もってもらえるかなと思いました。

 あと、ストリートカルチャーの乗り物と音楽の話。まずは何よりもバイクと車ですね。バイクはパンクやロックと相性がいい。車はどちらかというとヒップホップと結びつきが強い。スケートボードやBMXも、この車やバイクの延長線上にあります。スケーボーは日本にはおそらく、メロコアと一緒に浸透したんじゃないかと思います。(もちろん前からあるけど)ハイスタンダード聞いてる人は絶対スケボーやってました。で、ハイスタ聞いてた人は、ジャパニーズヒップホップも聞いてた。で、BMXやってる人も結構多かった。なんか、繋がり見てきませんか?ハードコアは結構ヒッピホップとつながり強いですよね。おそらくアメリカンカルチャーというつながりなんでしょう。

 逆に、X JAPAN的な、黒夢的な、ロッキオン的なロックはスケボーもBMXもやりません。同じロックでも、カルチャー的にちょっと違うんですね。乗り物で音楽をみていくと、ちょっと面白い。

 ということで今回は、ストリートカルチャーにおける自転車(乗り物)の話でした。
ではまた。


 


2014年8月18日月曜日

日記/ジャコとエヴァンスの最初と最後

 新宿ブックユニオンによくいきます。ディスクユニオンの本版で、紀伊国屋本店の隣にあります。普通の本屋さんに音楽関係の本は少ないのですが、ここはディスクユニオンの系列ですから、当然たくさんあります。特に中古を扱っていることが大きいです。音楽関係書籍はすぐに絶版になるため新刊では手に入らないアイテムが多いのですが、中古の扱いがあることで、そういったものが手に入る訳です。アマゾンで買えば良いじゃない、という声もありますが、中身をある程度読むと、はずれを引く可能性をぐっと下げることができます。現物を見れるのはこの時代においても、とてもいいことです。

 先日いったときに目を引いたのは、ジャズメンの伝記でした。ジャコパトリアスやビルエヴァンス、チャーリーパーカー、マイルスデイヴィス。誰でも知っているミュージシャンの生まれて死ぬ過程が書かれています。特にこの中で、序盤と終焉が気になりました。なぜなら、それ以外の時期は当然一流のミュージシャンとして最前線で活動していた時期なのですから伝記を読まなくても耳に入ってきますが、そうでない時期、つまり生まれてからミュージシャンになるまで、とあと死ぬ間際は、なかなか伝記を読まないとまとまった情報がないのです。さらに、序盤はミュージシャンである僕の興味を強く引きつけます。何故ならどんな練習をしてきたのか、どんなバンドに所属しどんな音楽をやってきたのか、ということが知れるからです。つまりどうやって、あの、素晴らしいミュージシャンになったのかを知れるわけです。同じことやってもなれないけど…でもやらないとなれない。

 で、ジャコの序盤なんだけど、ジャコはお父さんがドラマーでボーカリスト。本人も高校まではドラマーだった。そしてベースに転向。耳が非常に良く、1日練習して演奏現場にたった。練習のポイントはトライアド=つまり和音。ベーシストは楽器構造上、ピアノに比べると和音を認識しにくい。そこを徹底的に練習したことがジャコのスタイルに繋がっている。また、トランペットやバイオリンなどなんでも練習した。それに修理もした。それによってフラジオ=高次倍音を使った演奏にも習熟した。結果ハーモニクスを使うようになった。これは同じ原理だからね。前から提唱してたリズムがタイトなプレイヤーは元ドラマー理論に新たなサンプルが加わった。それからメロディアスなプレイをする人はボーカルにも関わりが深い理論。ジャコの場合は本人が小さい頃に歌でステージにあがるくらい歌をやっていた。親父はボーカリストでもある。それから、スケール練習など機械的な練習は結構やっているっぽい。これは単に数学的な法則だから、そう捉えてやらなきゃ、といっている。自分を現実的な人間だといっている。エレキを演奏しているのは、フロリダ?かな彼の地元では湿気が多すぎてウッドベースがすぐ壊れてしまうから、エレキが現実的。それに、ウッドベースは使い尽くされている。だから、エレキベースで新しい発見をしていかなきゃいけない、とも。現実的な彼は、現実の仕事にあわせて楽譜や、コードの読み方、演奏、テクニックを身につけて使った。R&Bの仕事がほとんどだった模様。

ジャコから学んだことまとめ
・ドラムを練習し続けて、リズムをタイトにしよう。
・メロディを歌ったり常に気を配ることが、音楽的な最短ルート。
・スケールやコードは数学的にフラットに理解しよう。適当にひかない。
・自分の時代のやりつくされていない機材を自分のものにしよう。
→自分の場合なんだろう。ローズやオルガンやピアノは既にやりつくされているかな。やはりシンセ?エフェクト?シンセリードかな。フィンガードラムは目立つね。
・衒学的な音楽理論ではなく、音楽を形にするために音楽理論を学ぼう。そしてすぐに使おう。

 ちなみにジャコは最後は躁鬱病とアルコールとドラックによって最前線からはいったん退き、精神病院に入院した。しかしその後も全快はせず、仲間からの助けも拒み、結果、公園で自分の最大のキャリアである、ウェザーリポートの曲をラジカセから流しながら、
物乞いのようなことをやっていてようだ。そして、高級バーに入ろうとして入り口のセキュリティーに止められ、おそらくその過程で階段から落ちて、昏睡状態になった。おそらくジャコは統合失調用とかなんらかの先天的な病気の持ち主だった。僕は医者じゃないから正確な情報ではないけど、それから決してそういう病気への偏見を強めたい訳じゃないけど、ジャコがインタビューでも自分で行っていた強烈な集中力と記憶力は、いわゆる標準的な性質の物ではないと思われる。鬱と知性の関連や、鬱と芸術性の関連を示す研究も最近よくみる。

 次、ビルエヴァンス。ビルエヴァンスは小さい頃はクラシックを習っていて、既に神童だった。途中から楽譜がないと演奏できないなんておかしいと思って、ジャズ的な道に進む。演奏と先生になる学位をとって大学を卒業。軍隊を引退後、24の頃に、音大で作曲をもう一度勉強している。そのころ、バッハやショパンの楽譜をかなり熱心に見ている。ボーカリストとやりたがっていたよう。歌の伴奏に力を入れていた。これはエヴァンスのスタイルを確立する上で重要な気がする。それから当時のピアノは大体ピッチがおかしかった。半音から全音低いことが普通にあった。その結果、エヴァンスは、周りがBbで演奏していても、全音あげてCで演奏しなくてはいけないような状況に常にあった。このことも演奏スタイルに影響を与えているのではないか。つまり、エヴァンスは、鍵盤の上をかなりシステマティックに見ているような気がする。それから、基礎的な、多分メロディとコードをしっかり着地させるということ、をまず勉強しなくてはいけない。その後に少し筒発展させていくんだ、といっている。この点はエヴァンスも非常に現実的な人間であることが表れている。それからエヴァンスのハーモニーはアドリブではない。かなり緻密に、スコアにはしないものの、前もって入念に作り上げられている。

エヴァンスから学んだことまとめ
・メロディとハーモニーという骨格をまず強固に持つこと
・これをハーモニーメロディーの点で堅実に発展させること
・ハーモニーの点では、バッハやショパンなど、過去の作品を参考にする(僕の場合はエヴァンスそのものでもいい)
・メロディの点では、修飾音的な技法をどんどん覚えて使うこと。
・演奏を通じて、少しずつ、拡張していけば良い。最初からコンテンポラリーに弾こうとしないこと。

 ちなみにエヴァンスの晩年は、ドラッグと大切な人の喪失に覆われていた。長く寄り添った内縁の妻ではなく、新しい恋人と結婚すると、内縁の妻が自殺した。ピアノ教師の兄も原因不明の自殺。ちなみに父も重度のアルコール依存であったようだ。ジャコと同じように、遺伝的な何かを感じる。内臓も悪くなっていたが治療は受けず、死んでいった。










2014年8月3日日曜日

「12音の関係をフルハウスで表現してみたの図の」解説




Cを主人公として、12音の関係を、フルハウスのような人間関係で表現してみた図が上の図です。
この図を作ってみようと思ったのは下の図がツイッターで回ってきたからです。


とても楽しい図なのですが、音楽理論家的には音と音の関係をより正確に反映させたいと思いました。
特に気になったのが、「不仲」という表現です。半音隣を「不仲」と表現しているのですが、音楽的に半音隣は、非常に親密な関係にあります。また、「A」と「C」は平行調の関係をつくる2音ですからとても大事です。それから、12音しか無いこの世界で、他人とか仲が悪い人間は存在しません。12音の世界は、濃密な、それころ愛憎満ちたドロドロの人間関係が形成されています。

ということで、この改訂版の理論的な説明をします。



和音に出てくる登場人物の関係と和音の性質の一致

この図で特に大事にしているのは、主要な和音を演奏したときに現れる登場人物の関係が、和音の性質と対応することです。

例えば、Cメジャーキーで、一番重要な和音 C(ドミソ=CEG)は、「主人公、妻、息子」という「家族」という安定した人間関係を形成します。

父を慕う息子G、主人公を導く(導音)伯父B、友人D

他にも、G(ソシレ=GBD)は、「息子、伯父さん、息子の友人」という「主人公に縁の深い男性グループ」を形成します。彼らはそれぞれ役割があります。息子(ソ)は父の本に帰ります(ドミナント)。伯父(シ)は主人公を導く先輩です(導音)。そして息子の友人(レ)は、主人公とは強い血縁関係にはありませんが、主人公の息子と関係がとても強いのです(レとソは完全五度という強い関係)。

女性的な和音F(F A C=ファラド)

もう一つこれまた重要なF(F A C=ファラド)をみてみましょう。娘(ファ)と主人公の母(ラ)そして主人公(ド)です。ここでも緩い血縁関係が形成されています。また、このファラドという和音が持つ女性性も表しています。そして同時に母と主人公がいることによって、この和音が思いの外安定していることも示しています。

元の図との違い 悪友F#(主人公の裏の顔)

さてここで、ツイッターで回っている方の図と私の図で全く異なるもの、もしくは、「不倫相手」や「母」といった、ちょっと気になる登場人物について説明します。

まず「F#」これは私の方では「悪友」、元の画像は「他人」となっています。確かにF#はCとそこまで結びつきが強い訳ではないのですが、CとF#は「裏」という関係にあり、Cとはいつも一緒にいるような仲間ではないが、しかしCそのものといってもいいような、複雑な関係にある音なのです。本当は、主人公の「二重人格の裏の顔」としたかったくらいです。ですから、F#はCとは無関係ではありません。

不倫相手 Eb

次に皆さんが気になっているであろう「不倫相手」=Ebの説明をしましょう。正妻はE(ミ)ですが、その半音下のEbが「不倫相手」となっています。主人公Cと正妻Eの二人は、Cメジャーという調性を造りだします。ドレミファソラシドの世界です。ハ長調です。この世界の中で、息子のGや娘のFが生まれてくる訳ですね。

不倫相手の子供かもしれない娘Fと息子G

では、主人公Cが不倫相手Ebと関係を持つとどうなるでしょう。ここでは、Cマイナーという世界が広がります。正妻のEは存在しない世界です。しかし、普通にF娘とG息子も存在します。これは何を意味するのでしょうか。もしかすると、主人公の娘と息子は、正妻の子供ではなく、不倫相手の子供なのかもしれない、ということを示唆しています。実際音楽の世界ではFとGは、正妻の世界「Cメジャーの世界」でも不倫相手の世界「Cマイナーの世界」でも同じ役割を果たす存在です。どちらの世界にも存在するのです。

実際には、男性が自分の子供かどうか分からないことはあっても、母親が自分の子供かどうか分からないことはありませんので、このような混同はありえません。しかし、このことは音楽の世界のある特殊な性質を逆に強調しているように思えます。

それはつまり、娘Fと息子Gが、誰から生まれてきたのか、父C確認することができない、という事実です。例えば、Csusというコードがあります。構成音はC F Gですが、つまり、父と娘と息子です。この場合、このコードは、C(C E G)にもCm(C Eb G)にも進むことができます。つまり、どちらにも所属する可能性がある、どちらの生まれでもある可能性があるということです。どちらの生まれなか、父は確認することが原理的にできないのです。このような性質をEとEb、妻と不倫相手の関係で表してみました。

不倫相手の息子D(主人公の子供の可能性も)

では不倫関係でもう一つ、実は息子の友人「D」は、【不倫相手「Eb」の「息子」】です。恐ろしい世界ですね。これは上記と同じような理由です。つまり、この友人の息子(D)は、もしかしたら主人公Cの子供なのかもしれないということです。実際、DはCメジャー(正妻)の世界にもCマイナーの世界(不倫)にも現れる二重性があります。彼もまた、どこの子かわからないのです。

母親A 普通の友達なんてことはあり得ない

次に母親Aを説明します。先ほどからこの世界は正妻の世界と不倫の世界の二重性があると説明してきましたが、もう一つ身近な世界があります。それは、Aマイナーの世界です。Aマイナーの世界は、Cメジャーの世界と構成する音は同じなのです。つまり登場人物は同じです。つまりAメジャーの世界とCメジャーの世界はほぼ同一なのです。これは生まれたばかりの子供が、自分の世界と母親の世界を同一だと考えるような、自分と他社の境界がまだないような、あの世界に近いと私は考えました。EとEbのせめぎ合いで立上がってくる世界は、あくまで主人公があとからつかみ取った二重性ですが、AマイナーとCメジャーの世界の二重性は、生まれた時からある、母子の関係に近いものがあるのです。ちなみに、Am(A C E)という重要な和音は、「母、主人公、妻」という主人公にとって大切な女性だけで構成されています。Amは陰陽で言えば陰、月のような、女性のような印象がないでしょうか。この点が表されています。ここまで関係が深いAが友人だとしたら、おそらく少しアブノーマルな関係なのではないでしょうか。

ファンキーな兄 Bb=A#

あと説明してないのは兄(A#)かな。これは単純にブルースでよく使うコードC7(C E G Bb)の中で、Bb=A#=兄が、ファンキーな存在感を出しているからです。

まとめ

ということで、この図はかなり本気を出して、音楽理論との整合性がとれるようにしましたので、Key in Cの曲で出てくる和音を、この図を参考に押さえてみていただければ、かなりその和音の説明となるようになっている力作です。ではまた!





2014年7月20日日曜日

物語の体操まとめ

1章 タロットカード的にストーリー進展の象徴を決め、ストーリーを乱作すること。
何かモチーフがあれば、それを繋げてストーリーを作る力が人には内在していることの証明。

二章 盗作
有名作品を抽象化し、構造化し、そこから自分の作品をつくろう。ここではどろろが使われる。
異形の生まれ 権力者の父

三章 法的式
未読。

四章 世界観と物語
世界観と、その中での繰り広げられる物語の二つの構造がある。世界観を村上龍に借り、物語をつくろう。どちらも作れるようになればなおよし、物語を作るだけでも力がつく。なんなら、世界観を作り上げてしまえば、その中で大量生産するガンダム方式もありだ。

五章 ストーリーの原型 異世界に、行きて帰りて、成長する話 ババアが出てくる

花一匁に象徴されるように、行きて帰りて、が遊びの本質である。仮の住まいにいき、異形のろうじんがいて、成長して戻ってくる。

六章 映画や漫画のノベライズは、既にストーリーに必要な情報が捨拾されているので、書く、という力をつけやすい


物語の体操 六章

映画や漫画のノベライズ
物語を構成するに必要な情報が既に提示されているので、これを汲み取り、文章にするという過程の訓練。


物語の体操 四章

世界 設定
趣向 設定の中での、ストーリー一つ

世界と趣向、どちらも創造するのが一番ベストだが、趣向だけの練習も意味がある。おって、世界を作れるようになればよい。そのために、村上龍を下地にする訓練をお勧めする。

第五章
物語の原型 いってかえってくる
花一匁的な、いって帰ってくる運動は遊びの本質。子供受けが良い。異世界にいって、戻ってくるとか、冒険に出て帰ってくるとか、

仮の住まい 成人 偉業の老人
赤ずきんや、ヨーダなど
森の奥にいる偉業の老人がいる、日常ではない仮の住まいで、成長をする構造

村上春樹のいって、うまくかえって来れない、不安な物語がよく描かれる。

物語の体操 二章


英雄の特徴

異常誕生

2014年7月19日土曜日

物語の体操 実作1章

物語の体操 メモ 1章




複製時代の芸術において、逆説的にオリジナリティへの憧れがある。小説家は、複製の大元であるオリジナリティを持つ人間であると認識されているからこそ、リスペクトされているのでは。という提案。
秘技、特権、逆説的、複製もとのオリジナリルとしてのオーラ。


小説家に、なりたいたが、なれない、ワナビー。これは、小説という制度の下部構造を形成するとても大切な存在です。そういう無数の人々の存在があって、初めて、小説家の特別な存在としての地位は保たれるのです。


カードを五枚くらい見て、それでストーリーを作る能力が五歳ぐらいからみんなある。体験の解体、再構成、関連づけ、とおこなっていると説明できる。

キャラクターカードや、りかちゃん人形が欲しい、のは、おはなし、の解体と再構成、をめぐる欲望であり、ごっこあそび、はそれを行為とし表出したもの、ということになる。

その訓練をしてきた、能力を発達させてきた人が、ストーリーテラーである。




タロット的なシンボルカードを使ったプロット作成訓練。

2014年7月12日土曜日

サドルを変えたら痛みが激減した話。



 7月から、世界最大の自転車競技イベント「ツールドフランス」がスタートしました。日本に住んでいるとあまりピンとこない人が多いかもしれませんが、ツールドフランスは自転車競技界に置けるワールドカップのようなもので、その盛り上がり・注目度・人気がヨーロッパではとてもすごいんです。日本でも少年漫画雑誌「チャンピオン」で連載中の「弱虫ペダル」人気の影響で、ロードバイクファンファンが急増し、結果的にツールドフランスを見る人も急増しているそうです。ワールドカップが終わったらツールドフランスで盛り上がる、という手もありますよ!みなさん!!

 さて、今回は自転車ユーザーの悩みの種「お尻の痛み」が「サドル変更」によって劇的に改善した、という話です。今回は「白いサドル」に変更しました。もともとは、「黒いほうのサドル」を使ってました。

 新しい「白いサドル」は中央部に穴が空いており、「軟部組織」への圧迫を低減させます。「軟部組織」とは、骨盤内側のエリアにある尿道や性器・肛門といった内蔵関係です。ここは内臓ですから当然座るためにはできておらず、この部分が常に圧迫されると痛みが生じてしまいます。ですから、隙間を空けて圧迫されないようにしているのです。


黒い方から白い方に変更。固く、穴があいたモデルに変更。

 座ったことが無い人だと、細長くて、穴まで開けてしまって座るところが少なく、パッドもほとんどないこのモデルは、「痛そう」だと感じると思います。しかし、その感覚に反して、「実は固いサドルのほうが軟部組織への圧迫は少ない」のです。

 パッドが柔らかくて沈み込んでしまうようなモデルだと、座ったときにパッドにお尻がめり込みます。めり込むということは、パッドが常に「押し返してきている状態」ということでもあります。座骨など固い部分は押し返されても全く問題ないのですが、軟部組織は押されることによって痛みます。つまり、柔らかいパッドはめり込むぶんだけ、押し返しもするのです。実は「サドルによる痛み」の大半が「パッドが柔らかいこと」に起因しているのかもしれません。

 それにたいして、固いパッドは、綺麗に骨で乗ることさえできれば、沈み込みに伴う「反発」がないので、痛くないです。しかもこの「白いサドル」は、中央部分がくりぬかれているので、さらに圧迫が少ない。

 今のところ「白いサドル」に変えて、超快適になり、圧迫感ゼロです。チャレンジしてよかったー。「スペシャライズド」というメーカーの「ROMIN」というシリーズの一番下のモデルです。1万くらい。このサドルを選ぶ上で大事なのは、座骨の幅です。幅がフィットしないとだめです。僕が行った「なるしまフレンド神宮店」では専用器具で計ってくれました。で、幅143mmメートルのやつにしました。座骨の幅は、体格によっても異なるし、特に男女差が激しいので、あったものを選ぶのがとても大事です。

 ちなみに「なるしまフレンド神宮店」さんは、とても丁寧に対応してくれました。結構人気があるお店みたいで、店内は人で溢れ、接客待ちするレベルです。パーツやウェアも沢山あるので、とてもいいです。

なるしまフレンド神宮店
http://www.nalsimafrend.jp/shop/jingu.html

 さて、もう少しサドルについての考察を書きます。結局のところ、サドルで重要なのは、座るべき場所にあたる箇所を固く、そうではない場所は柔らかくするかもしくは無くしてしまう、ということが大事なのではないかと感じました。わかりやすいところでいうと、サドルが細長くなったことによって、ペダルを漕ぐ際に太もも・股間まわりがサドルにぶつからず、擦れないので、痛くなくなりました。でかいママチャリサドルのようなものだと、足がサドルにぶつかるので早くこげないのですが、細いとぶつからないので早くこげます。必要ない場所は邪魔になるので、ないほうが痛くないんです。でかくてふわふわしたサドルの方が痛くないってことは、実は無い。

 ただし、この考え方は座り方が適切であることと、早く走るという目的がある場合にのみあてはまります。そもそも座骨ですわれていないと、固いサドルでは痛みます。早く走りたくない人は、そもそもロードには乗ってないと思うので、そんな人はほとんどいないと思いますが。ある程度の速度を出して、快適に走りたい場合、「固くて細長いサドル以外に選択肢はない」です。パッドを増やしたり、大きなモデルにするのは、無意味です。一度固くてヤバそうなサドルの海に漕ぎだしてみましょう。新しい発見があります。僕はありました。

 新しいサドルに変えただけで、かなり早く楽になりました。ここまで変わるとは!という感じです。サドルの変更はめちゃくちゃ変化が大きいのでコストパフォーマンス的にも意味があるかんじします。次はタイヤ周りかな。ホイールは結構価格がしますが、これもかなり走りに影響するとのことなので。

 ということで、ベストなサドルが皆さんにもみつかるといいですね!!!


 







2014年7月6日日曜日

練習の秘訣は丁寧に聞くこと

今まで色々練習の方法を工夫してきたけど、結局のところ、耳で注意深く聞いて、かっこいいと思えるような状態を想像し、そこに近づけて行く、というのが1番の練習だった。

主にこれはドラムの話です。

リズムがうまくはまらない、と悩んできたけど、一番いいのは、この方法だった。

2014年7月2日水曜日

映画「ホドロフスキーのDUNE」を見たら、リンチの「DUNE」も見てほしい。

 渋谷アップリンクにてドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」をみてきました。
http://www.uplink.co.jp/dune/

「DUNE」は伝説的なSF小説で、後世に大きな影響を与えています。ナウシカに登場する巨大な虫「オウム」は、DUNEに登場する巨大なワームに酷似しています。

DUNEに登場する大型の虫。砂虫。

 この小説「DUNE」を、映画監督であるホドロフスキーは映像化しようと試みましたが、結果的には実現することができませんでした。映画「ホドロフスキーのDUNE」は、この出来事についてのドキュメンターリー映画です。

 さてホドロフスキーの試みは頓挫したものの、プロットやコンテ、それから登場人物やクリーチャー、建築物、宇宙船といったデザインは、かなりの所まで詰めていたようです。しかもこの仕事は、後に「エイリアン」のデザインを手がける「ギーガー」、バンドデシネ*1の巨匠となる「メビウス」といった当時気鋭のアーティストによっておこなわれています。音楽はピンクフロイドにマグマ*2。この段階では、最高のものができるはずでした。

 *1 ベルギー・フランスを中心とした地域の漫画で、日本ではAKIRAの大友克洋、宮崎駿などの作風に大きな影響を与えている。

*2 フランスのプログレッシブロックバンド。オペラチックなボーカルとスペース・オペラ的な長大な物語、個性的で強力なリズム隊と分厚く呪術的な混声合唱が特徴。

 しかし、ホドロフスキーはカルト映画の人間です。つまり、「普通の映画」という枠には捕われたくない人間です。上映時間20時間の映画にしたい、なんてことをいいだす。結果として、映画会社はこの企画にOKを出しませんでした。つまりホドロスキーはこの映画の制作資金を得ることができなかったのです。お金がなければ監督は映画を作ることはできません。計画は頓挫します。

 頓挫したこの企画は、9年後にデヴィッドリンチによって映画化されます。

 以上が、SF小説「DUNE」とホドロフスキー、デヴィッドリンチの関係です。もう一度整理します。伝説的なSF小説「DUNE」。ホドロフスキーが映画化しようとするが挫折する。後にデヴィッドリンチが映画化。今回の映画では、ホドロフスキーの挫折が描かれています。

 さて、この記事で皆さんに訴えたいのは『映画「ホドロフスキーのDUNE」を見たら、リンチの「DUNE」も見てほしい』ということです。

 リンチ版の「DUNE」は正直言って評判がよくありません。本人も失敗だといっています。確かにSFに慣れていない人はストーリーをつかめないかもしれない。わかりずらい。

 けれども本当に駄作かというとそんなことはないと思います。見る価値のある作品です。僕は小さい頃にこの作品をみていたく感動しました。スターウォーズよりも、ブレードランナーよりも、マトリックスよりも、リンチの「DUNE」が大好きな子供でした。「DUNE」が提示した世界観は、超クールでした。

 だからリンチの「DUNE」も見てほしいのです。

 確かにホドロフスキーがやろうとしたことは偉大でした。しかし、だからといってリンチの「DUNE」が偽物の「出来損ない」ということにはならないでしょう。リンチのDUNEは、ホドロフスキーとは関係なしに、見る価値のある素晴らしい作品なのです。

 なぜ僕がこんなことを訴えているかというと、「ホドロフスキーのDUNE」をみたひとはきっとこう考えているのではないかと思ったからです。つまり「ホドロフスキーは偉大で素晴らしい作品をつくる準備ができていたが、それを映画会社が理解せず、制作は中止になった。その後にリンチが作品化したが、これはホドロフスキーのものに比べると良くない。本当のDUNEはホドロフスキー版である」と。

 これは大きな間違えです。

 第一に、「DUNE」の設定は、もとから素晴らしいのです。このことを忘れてはいけません。DUNEは映画化の構想より前から絶大な人気を誇るSF作品でした。だから、監督とは関係なしに面白い世界観を持っているのです。ホドロフスキーが全てを考えだしたように思っている人、それは違います。

 砂の惑星。幻覚を誘発するドラッグである「スパイス」。「スパイス」は、砂漠に生息する巨大な虫の排泄物です。そして「スパイス」によって得たスピリチュアルな力と数学の力で、宇宙船はワープをします。この「スパイス」をめぐって帝国の中央部と辺境の砂漠の民が様々な戦いを繰り広げます。この中で英雄が立上がってくるのです。「DUNE」はもとから面白いのです。誰が映画化しても、この面白さは「DUNE」のものなのです。これを忘れてはいけません。

 第二に、映画の「案」と、実際に映画化された「作品」を比べることはできません。もし比べるとしたら、「実際に映画化された作品」の方が優れているに決まっています。「案」と「作品」は同じ土俵には並ぶことはできません。実際の形にするために、アーティストは様々な妥協をします。妥協という言い方は良くないかもしれません。今できるベストをつくすのです。その過程で、アーティスト本人が納得できないことが沢山出てくるでしょう。それでも作品をつくるのです。葛藤しながら。この葛藤を経ていない段階で、いくら良い物ができるはずだ、と予想しても、それは全く見当違いなのです。実際に完成させなければ、どんな形になるかなんてことは誰にもわからないし、作品は自分の思い通りにはできないのです!!!特に映画のような予算と時間が限られた芸術に置いては!!

 この第二の点で、ホドロフスキーは所詮カルト映画の人間なのだ、と私は感じてしまいました。2時間の映画という「フォーマット」の中で戦う気がない。それで映画会社が理解しない、なんていうのは子供じみている。

 リンチは、自分でも納得できなかったかもしれませんが、DUNEを映像化しました。この映像は、今までにない世界観を表現していました。今見ても唯一無二だと思います。リンチのDUNEもとても素晴らしい作品です。だから見てほしいのです。

 以上が私が皆さんに訴えたかった内容ですが、このままだとあまりにホドロフスキーがかわいそうなので、彼を多少弁護します。
 
 ホドロフスキーが「ギーガー」と「メビウス」をSF映画の世界にひっぱりこんだことは、後のSF映画に大きく影響を与えていると思います。実際、「エイリアン」には、この時のスタッフが何人も関わっています。それから、彼は「メビウス」の作風に大きな影響を与えました。映画頓挫以降にメビウスによって書かれた「アルザス」、「アンカル」といった作品は後のSFビジュアルに大きな影響を与えましたが、この作風はホドロフスキーとの出会いなくしては確立されなかったといえるでしょう。
 
 と、彼を十分擁護したので、翻って彼を貶めると、SFに与えた影響は、明らかに「原作の面白さ」と「メビウス」、「ギーガー」のデザインなのです。別にホドロフキーはそんな関係ないんじゃないかなあ。これはわかりませんが。

 ということで、リンチの「DUNE」もみてくださいね。

 ではまた。


DUNE砂の惑星 映画版 予告編

 

 

 

 


 

 

2014年6月30日月曜日

ドラムフレーズの聞き取り方・練習の仕方

ドラムフレーズの聞き取り方・練習の仕方

 まず音源にあわせて、ハイハットを四分音符で演奏します。元の音源にハイハットが含まれていなくても構いません。単にビートを把握しやすくするために、ガイドラインとしてハイハットを演奏します。

 次に、ハイハットを演奏しながら、キックだけを集中して聞き取ります。キックはビートの性格を決定する最重要な要素です。キックが聞き取れたら、四分音符のハイハットとキックだけを、何回も繰り返して演奏してみましょう。そうすると、先ほどまで馴染みがなく、聞き聞取りづらかったビートが、意外と理解できるようになっていることに気付くでしょう。ハイハットのガイドラインとキックを手がかりすることで、その他のスネアやタムといったパートがどの位置にあるのかを理解できるようになったのです。

 これは常にいえることですが、対象を分析する際、全てを同時に捉えようとすると失敗します。しかし、たった一つに集中することから始めると、必ず成功します。これはとても重要な原則です。人間は一度に多くを処理することはできないので、小さく小分けした対象に限って考察を進め、最終的にそれらを組み合わせ、大きく複雑な構造物として認識するようにしたほうがいいでしょう。最初から全てを理解しようとすると、分からない部分が必ず出てきます。その一部の分からない箇所のせいで、あなたは全てがわからないような気持ちになり、分析することを放棄するでしょう。理解できるチャンスがあったのにも関わらず、過剰な完璧主義のせいで、全てを放棄してしまうのです。大事なことは、対象を自分の理解できる範囲に絞ることです。例え他人が、「なんてつまらない考察をしているのだ」とあなたを馬鹿にしても気にしてはいけません。わかってもいないのに、わかった気になるよりは何倍もマシです。繰り返しになりますが、分析する際には、シンプルなたった一つ対象に集中することから始め、最後に全てを組み合わせ、大きく複雑な構造物として認識するようにしましょう。他に近道はありません。

 さて、ドラムフレーズの聞き取りに話を戻しましょう。今、バスドラムを聞き取れたところです。次にスネアを聞き取ります。ここでは一度キックのことは忘れて、ガイドラインとして演奏しているハイハットとの関係でスネアを把握するといいでしょう。つまり、スネアだけに集中するということです。四分音符で叩いているハイハットとの重なり具合で、どこにスネアが配置されているかを掴みます。例えば、2つめのハイハットとスネアが重なっていれば、2拍目にスネアがあるということが簡単にわかります。他にも2つめのハイハットとスネアが重なっておらず、少し後ろにスネアがあり、しかし3つめのハイハットよりも前にあるとすれば、きっとこのスネアは2拍目の裏拍にあるのだろうと予想をたてることができます。あとはどれくらい裏なのかを集中して聴き取ればいいのです。

 さて今までガイドラインのハイハットを4分音符で演奏してきましたが、実際には8分音符で演奏した方がよりビートを把握しやすいです。より細かいグリッドを提示することができるからです。方眼紙を想像してください。1平方センチメートルの方眼紙より、1平方ミリメートルの方眼紙の方が、より正確に対象を捉えることができるのと同じです。ただし、八分音符を正確に演奏する技術があることが前提として必要です。もし八分音符を演奏することが難しいようならば、これはやめておきましょう。そもそもこの場合、分析する対象があなたにとって難しすぎるのかもしれません。再生スピードを下げるか、対象を他のもっと簡単なものにすることをおすすめします。

 さて、スネアを聞き取ることができたので、最後にハイハットです。ここで聞き取るべきは、ハイハットの配置されているタイミング、そしてクローズなのかオープンなのか、最後にハイハットの長さです。まずはハイハットの種類のことは気にせずに、配置だけを聴き取りましょう。そして次に、オープンの箇所を掴みます。そして最後に、クローズハイハットの中でも長い物と短い物を区別します。一つずつ順番に把握するようにしましょう。ハイハットはニュアンスが多彩で、ドラマーでない人間にはとても難しいのです。あせらずに慎重にいきましょう。

 キック、スネア、ハイハットが聴き取れたので、あとはタムやクラッシュ、ライドを適宜採譜します。ビートの核が聴き取れていれば、これらの副次的な要素は比較的簡単に聴き取れるはずです。

 さてこれらの要素を採譜したら、なんらかのメモをすることを私はオススメします。人によっては書き取ることを推奨しない人もいます。しかし私の考えでは、ビートをメモすることは、より難しいフレーズを覚えること、復習することをサポートしてくれます。メモされたフレーズはあなたの想像力次第で、とても遅いスピードで再生することができます。キックではじまって次にスネアがきて、ハイハットと重なるといった一連の手順の確認を、あなたの好きなスピードでおこなうことができるのです。もちろん実際の演奏を聴くことを軽視してはいけません。本当のグルーブは記すことができないからです。グルーブは紙の上ではなく実際のプレイの上にあります。しかし、このこととは別に紙に書くことによってビートを把握しやすくなる、ということも忘れないで欲しいのです。

 ちなみに私は自作のノートに記録しています。こちらでも販売しています。
http://bccks.jp/bcck/121585/info
 自分が分かれば何でも良いので、エクセルでこのようなシートを作るのをお勧めします。



 さて紙にメモしたフレーズを練習しましょう。ここでも聴き取ってきた順番と同じように、まずは均等に配置されたハイハットとキックからスタートしましょう。これができるようになったらスネアを足し、最後にハイハットを実際の演奏と同じものに入れ替えます。キック、スネアまでは比較的簡単にできますが、複雑なハイハットを加える際には多少困難さがあるでしょう。もし複雑なハイハットが演奏できない場合、思い切ってハイハットのことは忘れるのも一つの手です。完璧主義に陥らないことが音楽にとっては重要です。


 さて練習をはじめたらそのフレーズが体にしみ込むまで、とにかく何回も繰り返して練習します。慣れないフレーズがあれば、その一拍だけを繰り返し練習します。大事なのはとにかくできるところから始めること。繰り返すこと。あきらめないことです。応援しています。