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「DUNE」は伝説的なSF小説で、後世に大きな影響を与えています。ナウシカに登場する巨大な虫「オウム」は、DUNEに登場する巨大なワームに酷似しています。
DUNEに登場する大型の虫。砂虫。 |
この小説「DUNE」を、映画監督であるホドロフスキーは映像化しようと試みましたが、結果的には実現することができませんでした。映画「ホドロフスキーのDUNE」は、この出来事についてのドキュメンターリー映画です。
さてホドロフスキーの試みは頓挫したものの、プロットやコンテ、それから登場人物やクリーチャー、建築物、宇宙船といったデザインは、かなりの所まで詰めていたようです。しかもこの仕事は、後に「エイリアン」のデザインを手がける「ギーガー」、バンドデシネ*1の巨匠となる「メビウス」といった当時気鋭のアーティストによっておこなわれています。音楽はピンクフロイドにマグマ*2。この段階では、最高のものができるはずでした。
*1 ベルギー・フランスを中心とした地域の漫画で、日本ではAKIRAの大友克洋、宮崎駿などの作風に大きな影響を与えている。
*2 フランスのプログレッシブロックバンド。オペラチックなボーカルとスペース・オペラ的な長大な物語、個性的で強力なリズム隊と分厚く呪術的な混声合唱が特徴。
しかし、ホドロフスキーはカルト映画の人間です。つまり、「普通の映画」という枠には捕われたくない人間です。上映時間20時間の映画にしたい、なんてことをいいだす。結果として、映画会社はこの企画にOKを出しませんでした。つまりホドロスキーはこの映画の制作資金を得ることができなかったのです。お金がなければ監督は映画を作ることはできません。計画は頓挫します。
頓挫したこの企画は、9年後にデヴィッドリンチによって映画化されます。
以上が、SF小説「DUNE」とホドロフスキー、デヴィッドリンチの関係です。もう一度整理します。伝説的なSF小説「DUNE」。ホドロフスキーが映画化しようとするが挫折する。後にデヴィッドリンチが映画化。今回の映画では、ホドロフスキーの挫折が描かれています。
さて、この記事で皆さんに訴えたいのは『映画「ホドロフスキーのDUNE」を見たら、リンチの「DUNE」も見てほしい』ということです。
リンチ版の「DUNE」は正直言って評判がよくありません。本人も失敗だといっています。確かにSFに慣れていない人はストーリーをつかめないかもしれない。わかりずらい。
けれども本当に駄作かというとそんなことはないと思います。見る価値のある作品です。僕は小さい頃にこの作品をみていたく感動しました。スターウォーズよりも、ブレードランナーよりも、マトリックスよりも、リンチの「DUNE」が大好きな子供でした。「DUNE」が提示した世界観は、超クールでした。
だからリンチの「DUNE」も見てほしいのです。
確かにホドロフスキーがやろうとしたことは偉大でした。しかし、だからといってリンチの「DUNE」が偽物の「出来損ない」ということにはならないでしょう。リンチのDUNEは、ホドロフスキーとは関係なしに、見る価値のある素晴らしい作品なのです。
なぜ僕がこんなことを訴えているかというと、「ホドロフスキーのDUNE」をみたひとはきっとこう考えているのではないかと思ったからです。つまり「ホドロフスキーは偉大で素晴らしい作品をつくる準備ができていたが、それを映画会社が理解せず、制作は中止になった。その後にリンチが作品化したが、これはホドロフスキーのものに比べると良くない。本当のDUNEはホドロフスキー版である」と。
これは大きな間違えです。
第一に、「DUNE」の設定は、もとから素晴らしいのです。このことを忘れてはいけません。DUNEは映画化の構想より前から絶大な人気を誇るSF作品でした。だから、監督とは関係なしに面白い世界観を持っているのです。ホドロフスキーが全てを考えだしたように思っている人、それは違います。
砂の惑星。幻覚を誘発するドラッグである「スパイス」。「スパイス」は、砂漠に生息する巨大な虫の排泄物です。そして「スパイス」によって得たスピリチュアルな力と数学の力で、宇宙船はワープをします。この「スパイス」をめぐって帝国の中央部と辺境の砂漠の民が様々な戦いを繰り広げます。この中で英雄が立上がってくるのです。「DUNE」はもとから面白いのです。誰が映画化しても、この面白さは「DUNE」のものなのです。これを忘れてはいけません。
第二に、映画の「案」と、実際に映画化された「作品」を比べることはできません。もし比べるとしたら、「実際に映画化された作品」の方が優れているに決まっています。「案」と「作品」は同じ土俵には並ぶことはできません。実際の形にするために、アーティストは様々な妥協をします。妥協という言い方は良くないかもしれません。今できるベストをつくすのです。その過程で、アーティスト本人が納得できないことが沢山出てくるでしょう。それでも作品をつくるのです。葛藤しながら。この葛藤を経ていない段階で、いくら良い物ができるはずだ、と予想しても、それは全く見当違いなのです。実際に完成させなければ、どんな形になるかなんてことは誰にもわからないし、作品は自分の思い通りにはできないのです!!!特に映画のような予算と時間が限られた芸術に置いては!!
この第二の点で、ホドロフスキーは所詮カルト映画の人間なのだ、と私は感じてしまいました。2時間の映画という「フォーマット」の中で戦う気がない。それで映画会社が理解しない、なんていうのは子供じみている。
リンチは、自分でも納得できなかったかもしれませんが、DUNEを映像化しました。この映像は、今までにない世界観を表現していました。今見ても唯一無二だと思います。リンチのDUNEもとても素晴らしい作品です。だから見てほしいのです。
以上が私が皆さんに訴えたかった内容ですが、このままだとあまりにホドロフスキーがかわいそうなので、彼を多少弁護します。
ホドロフスキーが「ギーガー」と「メビウス」をSF映画の世界にひっぱりこんだことは、後のSF映画に大きく影響を与えていると思います。実際、「エイリアン」には、この時のスタッフが何人も関わっています。それから、彼は「メビウス」の作風に大きな影響を与えました。映画頓挫以降にメビウスによって書かれた「アルザス」、「アンカル」といった作品は後のSFビジュアルに大きな影響を与えましたが、この作風はホドロフスキーとの出会いなくしては確立されなかったといえるでしょう。
と、彼を十分擁護したので、翻って彼を貶めると、SFに与えた影響は、明らかに「原作の面白さ」と「メビウス」、「ギーガー」のデザインなのです。別にホドロフキーはそんな関係ないんじゃないかなあ。これはわかりませんが。
ということで、リンチの「DUNE」もみてくださいね。
ではまた。
DUNE砂の惑星 映画版 予告編
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