2014年8月28日木曜日

音楽理論とは、料理のレシピと素材です。


 先日、私の処女作「RHYTHM AND FINGER DRUMMING」が紙版、データ版合わせて120冊の販売を達成しました。購入していただいた皆さん、宣伝してくれる皆さん、本当にありがとうございます。皆様のサポートのおかげです。


 さて、調子に乗りまして、第二作目を執筆中です。今回は、私の本来の専門であるいわゆる音楽理論、つまりコードとかスケールについて、基礎から書いた本です。内容自体は古典的な内容ですが、今後応用的な内容の本を出すにあたって、基礎的な内容をおさえておく必要があると考えました。ご期待ください。

 今回は、その第二作から、一部コラムを抜粋してご紹介します。テーマ自体は何度も扱っている、音楽理論とは何なのか、何の役に立つのか、ということです。料理を例えに説明しています。音楽理論が苦手な人も、嫌いな人も、読んでいただけるといいなと思います。



 Column 1


 私たちは、メジャースケールか、もしくは全音を使って説明を始めます。何故なら、メジャースケールと全音とが、音楽の一番基礎的な素材だからです。基礎的な素材だということはつまり、音楽の中に一番表れる素材だ、ということです。様々な音響的素材の組み合わせによって音楽は構成されていますが、メジャースケールと全音とが最も表出し、そして汎用性のある素材であるからこそ、音楽理論という体系のスタート地点で説明されるのです。ですからまず、この二つの音響的素材について熟知する必要が、皆さんにあります。この点は何度強調しても足りません。

 さてメジャースケールの重要性についてもう少し話をします。私たちが20歳までに聴く音楽のうち約9割が、メジャースケールか、もしくはメジャースケールに関連するマイナースケールの体系的知識によって説明されうるでしょう。これはつまり、作者の意図がどうであるかは別として、メジャースケールが音楽において如何に支配的であるか、ということを物語っています。作曲者の考えとは関係なく、自然発生的にメジャースケールが立ち上がってくるのです。そして、メジャースケールがある種の重力のように音楽全体に影響を与えている事実から、「帰納的」に我々はメジャースケールを「重要な法則」だと認めることになったのです。

 ここで私が「帰納的」と申し上げたのは、あくまでメジャースケールは音楽以前に存在していたのではない、という点を強調したいがためです。帰納とはつまり、個別の事象の集合から規則性を取り出す行為です。メジャースケールは音楽から取り出されたのです。決してメジャースケールが音楽を規定しているわけではないのです。その点を忘れてはいけません。

 しかし、この点を理解していない人が多くいるように思われます。つまり、音楽理論に自分の音楽を決定させたくない、と声高に叫ぶ人達のことです。当然ですが、音楽理論があなたにメジャースケールの内側に留まることを迫るようなことはありません。いつでも音楽的決定の主体はあなたであり、音楽理論もそのことをよくわきまえています。そうであるにもかかわらず、音楽理論に支配されることを望み、自身の音楽を攻撃されることを望む人達は、マッチポンプ的です。恐らくは特殊な性癖、つまりドMと呼ばれる人種なのでしょう。

 さて、繰り返しになりますが我々が取り上げる用語や定義 スケールやコードやドミナントモーション は音楽一般から抽出した素材である、ということをもう一度確認してください。これは規則ではありません。しかし、西洋料理一般からバターやオリーブオイルなどの素材に着目することができるように、音楽からスケールやコードといった素材に注目することができるということです。そして、自分のための料理にバターやオリーブオイルを入れることが出来るように、自分の音楽にスケールやコードを入れることが出来ます。結局のところ、どんな素材を入れたいかは、あなたがどんな味にしたいかによります。

 しかし料理にレシピがあるように、音楽のレシピも便利です。レシピから料理を作ることはよくあります。全てを自分で決める必要はありません。音楽も同様にレシピが助けとなることがあります。ところで、皆さんはトムヤムクンを食べたことがありますか。非常に複雑な味がします。何が入っているのかよくわかりません。しかしトムヤムクンのレシピがあれば、全くの素人でも比較的良い味になります。少なくとも最後まで作ることができるでしょう。レシピがなければトムヤムクンを作り始めることすらできません。レシピから初め、真のトムヤムクンを目指していけばよいわけです。音楽にも同じことがいえます。一見して何が起きているかわからない美しい音楽について、含まれる素材やその量、そして入れるタイミングを前もってレシピで知ることが出来れば、あなたの美しい音楽の手がかりとすることができるでしょう。音楽理論が担っているのは、主にこういうことだといえます。主要な素材に着目し、その組み合わせを提示する、というのが音楽理論の価値です。

 さて、この料理のたとえを使って、先ほど言及した声高な人々について考えてみましょう。彼らは、ある料理のレシピを拡張して考えすぎます。つまり、「トムヤムクンにはエビのペーストを入れると良い」といっているにすぎないのに、「全ての料理にエビのペーストを入れると美味しくなる」と拡張します。そしてついには「ゼリーにエビのペーストを入れたら不味かった!このレシピは間違っている!」と怒りだします。おそらく彼らには教育がたりません。


 ここまでの料理を用いた説明でご理解いただけたかと思うのですが、我々が学ぼうとしているのはある種の様式なのです。様式とは素材と素材の適正な組み合わせです。そして様式は時代によって変化します。また、様式の変化は過去の様式との対比の中で生じます。つまりイケている様式は、その少し前の様式の克服によって生じるのです。様式は時代により変化するものであり、常に通用するものではありませんが、しかし全ての様式は歴史的なつながりをもっています。我々が音楽理論で学ぼうとしているのは、この時代ごとの様式であり、様式の歴史的なつながりなのです。この点を忘れずに以降の項目を学んでほしいと思います。

2014年8月19日火曜日

日記/ストリートカルチャーの中の自転車/BMX、ピスト

 先日「PEDAL DAY」@代々木公園 という自転車イベントに遊びにいってきました。
http://pedallife.com/

 「PEDAL DAY」は自転車関連グッズのお店、自転車チームなどがたくさん出店するストリート系自転車イベントです。ファッション系の自転車グッズが売られています。通常自転車屋さんにいくと、ガチガチの競技系ウェア(ピチピチのタイツみたいなやつとか)、早く走るためのパーツがメインになるので、それよりももっとカジュアルな自転車ライフスタイルに適したグッズが「PEDAL DAY」では手に入ります。

 また、下の写真のようなBMXと呼ばれるタイプの自転車によるイベントも開催されていました。これ見たことありますか?

BMX

 
  BMXではいろんな競技がありますが、ひとつ下の動画をみてみてください。これは、フラットランドといわれるスタイルの競技です。


~REAL TOUGHNESS TOKYO 2013 ~ BMX FLATLAND BATTLE FINAL 【FULL】

 
 クルックル回ってましたね。こんなかんじの自転車を使ったイベントが「PEDAL DAY」でも開催されてました。すごかったです。

 で、こういう自転車って、もしかしたら、ロード界隈ではあんまり人気ないのかなあ、と思って。もしくは知名度が低いのかなあ…と思って。そうだとしたらぜひ紹介させてください。

 ここでもう一個動画みてください。


 おいおいおい…ってかんじですけど。ここまでアグレッシブなことをやる人はほんとに
ごく一部ですが、こんなこともできます。オフロードを走ったり、スケボーのコースみたいなところで技を出したり、ジャンプ台から飛んだり。色々あります。すごい。

 で、このBMXなんですが、ストリート系の自転車カルチャーの中では、まず最初にくる重要なものなんです。というのも、そもそもストリートカルチャーの第一の人気アイテムはもちろん「スケートボード」ですが、感覚的にはこれの自転車版がBMXなんです。街で技をやったり、高くジャンプしたり…スケボーでやってることを自転車でもやるって感じなのがBMX
。なので、ストリートカルチャーの自転車と言えばまず、BMXっていう雰囲気があります。

 で、ちょっと話題になったピストなんかも、BMX的な遊び方でここに入ってきます。ようは、スケボーやBMXのように、技を練習して決める!っていう遊びのツールなわけです。ぐるぐる回ったり、ウィリーしたり。こう考えると、なんでピストにブレーキをつけない人が多かったのかが分かると思います。(良い悪いとは別として!)感覚的には、スケートボードにブレーキがついていないのと同じです。スケボーでは体重を移動させて止まるわけです。そういう遊びを自転車でやったのがピスト。ブレーキがついているとぐるぐるまわせないってのもあります。(ちなみにBMXのブレーキは、回転できるような特殊な機構になってます。)ということで、ピストにブレーキがついていない理由が「若者の無謀な見えはり」だと思われていた方も多いかもしれませんが、第一の理由は「競技上の問題」ということが分かっていただけたと思います。繰り返しになりますが、だからといって道路をブレーキなしで走ったらいけません。ちなみに僕がトリックを練習してたときの友人は大抵車でピストを持ってくるか、もしくは、ブレーキをつけて公園にきてそれで外してトリックをやってました。

 話をストリートカルチャーの中の自転車に戻します。スケートボードがまずあって、そこに似たような遊びとしてBMXやピストが入ってくる、って話でした。で、最近はその延長でさらにロードに来ている人もいます。こんな流れが大きくあると思ってもらえると、BMXにも興味もってもらえるかなと思いました。

 あと、ストリートカルチャーの乗り物と音楽の話。まずは何よりもバイクと車ですね。バイクはパンクやロックと相性がいい。車はどちらかというとヒップホップと結びつきが強い。スケートボードやBMXも、この車やバイクの延長線上にあります。スケーボーは日本にはおそらく、メロコアと一緒に浸透したんじゃないかと思います。(もちろん前からあるけど)ハイスタンダード聞いてる人は絶対スケボーやってました。で、ハイスタ聞いてた人は、ジャパニーズヒップホップも聞いてた。で、BMXやってる人も結構多かった。なんか、繋がり見てきませんか?ハードコアは結構ヒッピホップとつながり強いですよね。おそらくアメリカンカルチャーというつながりなんでしょう。

 逆に、X JAPAN的な、黒夢的な、ロッキオン的なロックはスケボーもBMXもやりません。同じロックでも、カルチャー的にちょっと違うんですね。乗り物で音楽をみていくと、ちょっと面白い。

 ということで今回は、ストリートカルチャーにおける自転車(乗り物)の話でした。
ではまた。


 


2014年8月18日月曜日

日記/ジャコとエヴァンスの最初と最後

 新宿ブックユニオンによくいきます。ディスクユニオンの本版で、紀伊国屋本店の隣にあります。普通の本屋さんに音楽関係の本は少ないのですが、ここはディスクユニオンの系列ですから、当然たくさんあります。特に中古を扱っていることが大きいです。音楽関係書籍はすぐに絶版になるため新刊では手に入らないアイテムが多いのですが、中古の扱いがあることで、そういったものが手に入る訳です。アマゾンで買えば良いじゃない、という声もありますが、中身をある程度読むと、はずれを引く可能性をぐっと下げることができます。現物を見れるのはこの時代においても、とてもいいことです。

 先日いったときに目を引いたのは、ジャズメンの伝記でした。ジャコパトリアスやビルエヴァンス、チャーリーパーカー、マイルスデイヴィス。誰でも知っているミュージシャンの生まれて死ぬ過程が書かれています。特にこの中で、序盤と終焉が気になりました。なぜなら、それ以外の時期は当然一流のミュージシャンとして最前線で活動していた時期なのですから伝記を読まなくても耳に入ってきますが、そうでない時期、つまり生まれてからミュージシャンになるまで、とあと死ぬ間際は、なかなか伝記を読まないとまとまった情報がないのです。さらに、序盤はミュージシャンである僕の興味を強く引きつけます。何故ならどんな練習をしてきたのか、どんなバンドに所属しどんな音楽をやってきたのか、ということが知れるからです。つまりどうやって、あの、素晴らしいミュージシャンになったのかを知れるわけです。同じことやってもなれないけど…でもやらないとなれない。

 で、ジャコの序盤なんだけど、ジャコはお父さんがドラマーでボーカリスト。本人も高校まではドラマーだった。そしてベースに転向。耳が非常に良く、1日練習して演奏現場にたった。練習のポイントはトライアド=つまり和音。ベーシストは楽器構造上、ピアノに比べると和音を認識しにくい。そこを徹底的に練習したことがジャコのスタイルに繋がっている。また、トランペットやバイオリンなどなんでも練習した。それに修理もした。それによってフラジオ=高次倍音を使った演奏にも習熟した。結果ハーモニクスを使うようになった。これは同じ原理だからね。前から提唱してたリズムがタイトなプレイヤーは元ドラマー理論に新たなサンプルが加わった。それからメロディアスなプレイをする人はボーカルにも関わりが深い理論。ジャコの場合は本人が小さい頃に歌でステージにあがるくらい歌をやっていた。親父はボーカリストでもある。それから、スケール練習など機械的な練習は結構やっているっぽい。これは単に数学的な法則だから、そう捉えてやらなきゃ、といっている。自分を現実的な人間だといっている。エレキを演奏しているのは、フロリダ?かな彼の地元では湿気が多すぎてウッドベースがすぐ壊れてしまうから、エレキが現実的。それに、ウッドベースは使い尽くされている。だから、エレキベースで新しい発見をしていかなきゃいけない、とも。現実的な彼は、現実の仕事にあわせて楽譜や、コードの読み方、演奏、テクニックを身につけて使った。R&Bの仕事がほとんどだった模様。

ジャコから学んだことまとめ
・ドラムを練習し続けて、リズムをタイトにしよう。
・メロディを歌ったり常に気を配ることが、音楽的な最短ルート。
・スケールやコードは数学的にフラットに理解しよう。適当にひかない。
・自分の時代のやりつくされていない機材を自分のものにしよう。
→自分の場合なんだろう。ローズやオルガンやピアノは既にやりつくされているかな。やはりシンセ?エフェクト?シンセリードかな。フィンガードラムは目立つね。
・衒学的な音楽理論ではなく、音楽を形にするために音楽理論を学ぼう。そしてすぐに使おう。

 ちなみにジャコは最後は躁鬱病とアルコールとドラックによって最前線からはいったん退き、精神病院に入院した。しかしその後も全快はせず、仲間からの助けも拒み、結果、公園で自分の最大のキャリアである、ウェザーリポートの曲をラジカセから流しながら、
物乞いのようなことをやっていてようだ。そして、高級バーに入ろうとして入り口のセキュリティーに止められ、おそらくその過程で階段から落ちて、昏睡状態になった。おそらくジャコは統合失調用とかなんらかの先天的な病気の持ち主だった。僕は医者じゃないから正確な情報ではないけど、それから決してそういう病気への偏見を強めたい訳じゃないけど、ジャコがインタビューでも自分で行っていた強烈な集中力と記憶力は、いわゆる標準的な性質の物ではないと思われる。鬱と知性の関連や、鬱と芸術性の関連を示す研究も最近よくみる。

 次、ビルエヴァンス。ビルエヴァンスは小さい頃はクラシックを習っていて、既に神童だった。途中から楽譜がないと演奏できないなんておかしいと思って、ジャズ的な道に進む。演奏と先生になる学位をとって大学を卒業。軍隊を引退後、24の頃に、音大で作曲をもう一度勉強している。そのころ、バッハやショパンの楽譜をかなり熱心に見ている。ボーカリストとやりたがっていたよう。歌の伴奏に力を入れていた。これはエヴァンスのスタイルを確立する上で重要な気がする。それから当時のピアノは大体ピッチがおかしかった。半音から全音低いことが普通にあった。その結果、エヴァンスは、周りがBbで演奏していても、全音あげてCで演奏しなくてはいけないような状況に常にあった。このことも演奏スタイルに影響を与えているのではないか。つまり、エヴァンスは、鍵盤の上をかなりシステマティックに見ているような気がする。それから、基礎的な、多分メロディとコードをしっかり着地させるということ、をまず勉強しなくてはいけない。その後に少し筒発展させていくんだ、といっている。この点はエヴァンスも非常に現実的な人間であることが表れている。それからエヴァンスのハーモニーはアドリブではない。かなり緻密に、スコアにはしないものの、前もって入念に作り上げられている。

エヴァンスから学んだことまとめ
・メロディとハーモニーという骨格をまず強固に持つこと
・これをハーモニーメロディーの点で堅実に発展させること
・ハーモニーの点では、バッハやショパンなど、過去の作品を参考にする(僕の場合はエヴァンスそのものでもいい)
・メロディの点では、修飾音的な技法をどんどん覚えて使うこと。
・演奏を通じて、少しずつ、拡張していけば良い。最初からコンテンポラリーに弾こうとしないこと。

 ちなみにエヴァンスの晩年は、ドラッグと大切な人の喪失に覆われていた。長く寄り添った内縁の妻ではなく、新しい恋人と結婚すると、内縁の妻が自殺した。ピアノ教師の兄も原因不明の自殺。ちなみに父も重度のアルコール依存であったようだ。ジャコと同じように、遺伝的な何かを感じる。内臓も悪くなっていたが治療は受けず、死んでいった。










2014年8月3日日曜日

「12音の関係をフルハウスで表現してみたの図の」解説




Cを主人公として、12音の関係を、フルハウスのような人間関係で表現してみた図が上の図です。
この図を作ってみようと思ったのは下の図がツイッターで回ってきたからです。


とても楽しい図なのですが、音楽理論家的には音と音の関係をより正確に反映させたいと思いました。
特に気になったのが、「不仲」という表現です。半音隣を「不仲」と表現しているのですが、音楽的に半音隣は、非常に親密な関係にあります。また、「A」と「C」は平行調の関係をつくる2音ですからとても大事です。それから、12音しか無いこの世界で、他人とか仲が悪い人間は存在しません。12音の世界は、濃密な、それころ愛憎満ちたドロドロの人間関係が形成されています。

ということで、この改訂版の理論的な説明をします。



和音に出てくる登場人物の関係と和音の性質の一致

この図で特に大事にしているのは、主要な和音を演奏したときに現れる登場人物の関係が、和音の性質と対応することです。

例えば、Cメジャーキーで、一番重要な和音 C(ドミソ=CEG)は、「主人公、妻、息子」という「家族」という安定した人間関係を形成します。

父を慕う息子G、主人公を導く(導音)伯父B、友人D

他にも、G(ソシレ=GBD)は、「息子、伯父さん、息子の友人」という「主人公に縁の深い男性グループ」を形成します。彼らはそれぞれ役割があります。息子(ソ)は父の本に帰ります(ドミナント)。伯父(シ)は主人公を導く先輩です(導音)。そして息子の友人(レ)は、主人公とは強い血縁関係にはありませんが、主人公の息子と関係がとても強いのです(レとソは完全五度という強い関係)。

女性的な和音F(F A C=ファラド)

もう一つこれまた重要なF(F A C=ファラド)をみてみましょう。娘(ファ)と主人公の母(ラ)そして主人公(ド)です。ここでも緩い血縁関係が形成されています。また、このファラドという和音が持つ女性性も表しています。そして同時に母と主人公がいることによって、この和音が思いの外安定していることも示しています。

元の図との違い 悪友F#(主人公の裏の顔)

さてここで、ツイッターで回っている方の図と私の図で全く異なるもの、もしくは、「不倫相手」や「母」といった、ちょっと気になる登場人物について説明します。

まず「F#」これは私の方では「悪友」、元の画像は「他人」となっています。確かにF#はCとそこまで結びつきが強い訳ではないのですが、CとF#は「裏」という関係にあり、Cとはいつも一緒にいるような仲間ではないが、しかしCそのものといってもいいような、複雑な関係にある音なのです。本当は、主人公の「二重人格の裏の顔」としたかったくらいです。ですから、F#はCとは無関係ではありません。

不倫相手 Eb

次に皆さんが気になっているであろう「不倫相手」=Ebの説明をしましょう。正妻はE(ミ)ですが、その半音下のEbが「不倫相手」となっています。主人公Cと正妻Eの二人は、Cメジャーという調性を造りだします。ドレミファソラシドの世界です。ハ長調です。この世界の中で、息子のGや娘のFが生まれてくる訳ですね。

不倫相手の子供かもしれない娘Fと息子G

では、主人公Cが不倫相手Ebと関係を持つとどうなるでしょう。ここでは、Cマイナーという世界が広がります。正妻のEは存在しない世界です。しかし、普通にF娘とG息子も存在します。これは何を意味するのでしょうか。もしかすると、主人公の娘と息子は、正妻の子供ではなく、不倫相手の子供なのかもしれない、ということを示唆しています。実際音楽の世界ではFとGは、正妻の世界「Cメジャーの世界」でも不倫相手の世界「Cマイナーの世界」でも同じ役割を果たす存在です。どちらの世界にも存在するのです。

実際には、男性が自分の子供かどうか分からないことはあっても、母親が自分の子供かどうか分からないことはありませんので、このような混同はありえません。しかし、このことは音楽の世界のある特殊な性質を逆に強調しているように思えます。

それはつまり、娘Fと息子Gが、誰から生まれてきたのか、父C確認することができない、という事実です。例えば、Csusというコードがあります。構成音はC F Gですが、つまり、父と娘と息子です。この場合、このコードは、C(C E G)にもCm(C Eb G)にも進むことができます。つまり、どちらにも所属する可能性がある、どちらの生まれでもある可能性があるということです。どちらの生まれなか、父は確認することが原理的にできないのです。このような性質をEとEb、妻と不倫相手の関係で表してみました。

不倫相手の息子D(主人公の子供の可能性も)

では不倫関係でもう一つ、実は息子の友人「D」は、【不倫相手「Eb」の「息子」】です。恐ろしい世界ですね。これは上記と同じような理由です。つまり、この友人の息子(D)は、もしかしたら主人公Cの子供なのかもしれないということです。実際、DはCメジャー(正妻)の世界にもCマイナーの世界(不倫)にも現れる二重性があります。彼もまた、どこの子かわからないのです。

母親A 普通の友達なんてことはあり得ない

次に母親Aを説明します。先ほどからこの世界は正妻の世界と不倫の世界の二重性があると説明してきましたが、もう一つ身近な世界があります。それは、Aマイナーの世界です。Aマイナーの世界は、Cメジャーの世界と構成する音は同じなのです。つまり登場人物は同じです。つまりAメジャーの世界とCメジャーの世界はほぼ同一なのです。これは生まれたばかりの子供が、自分の世界と母親の世界を同一だと考えるような、自分と他社の境界がまだないような、あの世界に近いと私は考えました。EとEbのせめぎ合いで立上がってくる世界は、あくまで主人公があとからつかみ取った二重性ですが、AマイナーとCメジャーの世界の二重性は、生まれた時からある、母子の関係に近いものがあるのです。ちなみに、Am(A C E)という重要な和音は、「母、主人公、妻」という主人公にとって大切な女性だけで構成されています。Amは陰陽で言えば陰、月のような、女性のような印象がないでしょうか。この点が表されています。ここまで関係が深いAが友人だとしたら、おそらく少しアブノーマルな関係なのではないでしょうか。

ファンキーな兄 Bb=A#

あと説明してないのは兄(A#)かな。これは単純にブルースでよく使うコードC7(C E G Bb)の中で、Bb=A#=兄が、ファンキーな存在感を出しているからです。

まとめ

ということで、この図はかなり本気を出して、音楽理論との整合性がとれるようにしましたので、Key in Cの曲で出てくる和音を、この図を参考に押さえてみていただければ、かなりその和音の説明となるようになっている力作です。ではまた!